くわしくは『教室内(スクール)カースト』(鈴木翔)をご覧いただきたいのですが、スクールカーストの問題点は「根拠のない雰囲気によって自分のポジションやキャラを演じることの息苦しさ」にあります。しかもクラス内の役割を演じていないと、教室内でハジき出され、まるでゴミのように扱われてしまうこともある、と。

 つまりスクールカーストは、いじめを構造的に生む要因になっているのです。「いじめ」を考えるうえで、いまはこのスクールカーストこそ最重要の検討課題と言っていいでしょう。

■「学校」を強制されるから苦しい

 どんな子どもでも明るく楽しく学校ですごしてもらいたいと考えて先生たちは各クラスに生徒を配分します。「考えた通りにはならない」とは思いつつも、なるべく想像力を膨らませます。

 そのうえで「明るい子」「暗い子」を選りわけたり、一人ひとりの「キャラ」を考えたりもします。しかしそれがかえって「クラス内の役割(キャラ)」を暗に求めることにもつながり、スクールカーストが生まれやすくなっているのではないでしょうか。

 これは「先生の配慮不足」や「いじめをする子ども」の問題ではありません。構造の問題です。

 すべての子どもは学校に行くことを事実上、強制されているという構造が生んだ問題だと私は思っています。

 子どもは学校に学籍が置かれます。ごく一部の特例をのぞき、子どもが「学校に籍を置く」ことは避けられません。そう法律で定めているからです(教育基本法第17条)。

 ホームスクーリングは基本的に義務教育としては認められず、登校を強制されているからクラス内の人間関係は難しく、先生たちも「核づくり」「雰囲気づくり」に頭を悩ませるのです。

 強制されるということは、どんな理由があれ暴力です。学校は「教える」ためには便利な機関ですが、その「便利さ」と学校が持つ「仕組みの暴力性」は分けて考える必要があります。この点は議論されることが少ないですし、今回の「クラス替え」についても研究や報道資料があまりに少ないです。一部の子どもに関わる問題だけではありません。より多くの議論が広がるためには、研究、報道、そして行政も考える必要があると思っています。

暮らしとモノ班 for promotion
2024年の『このミス』大賞作品は?あの映像化人気シリーズも受賞作品って知ってた?