時代劇から現代劇へと真逆に舵を切り替えた「山河燃ゆ」は、大河ドラマ史上最もスリリングな路線変更に挑んだ作品として知られている。前作「徳川家康」を最後に、いったん時代劇から離れて近現代史に移行した“近代シリーズ第一作”だからだ。
太平洋戦争前後の激動の時代を生き抜いた日系アメリカ人・天羽(あもう)家の人々の苦悩と、困難に立ち向かう日系人の勇気を描いた「山河燃ゆ」。大河ドラマとして初めて、第二次世界大戦、二・二六事件、原爆投下、東京裁判へと続く日本近現代史を扱った作品であり、以後の「近現代三部作」(翌年の『春の波涛』、翌々年の『いのち』と続く)の一作目に当たる。大河ドラマの命運を今日に繋いだドラマ、と言っても過言ではない。
本作の制作を担当した近藤晋(昨年2月逝去)は「黄金の日日」で初めて大河ドラマの海外ロケを実践するなど、“人がやらないことをやるプロデューサー”として知られている。日米貿易摩擦で揺れる1985(昭和60)年に刊行された自著「プロデューサーの旅路/テレビドラマの昨日・今日・明日」(朝日新聞社刊)で、企画の発端を次のように書いている。
「現在、日本では経済摩擦に象徴されるように、世界の中で生きるための方途の再考が行われている。それは、日本の近代化の帰結である太平洋戦争を芯とする『昭和を見直すこと』にもつながる、といえる。アメリカでも戦争論議が再燃し、それについて日系市民の扱いについても検討の機運が盛り上がってきた。このドラマは、まさにその両方の原点をテーマにしており、決して昔の事柄、一つの場所の出来事ではなく、時間を超越して同じテーマを現在に問いかけようとしているのであり、空間をまたいで日米両国に関わる国際性を持っている。(中略)そうした意図で、近代シリーズ第一作『山河燃ゆ』は制作された。大河の“変身第一号”である。」
原作は山崎豊子の「二つの祖国」。1980(昭和55)年から83 (昭和58)年まで「週刊新潮」に連載された。山崎はドラマ化に際して、「戦争が一個人とその家族を押しつぶしていく過程を、冷静に、そして、温かい思いやりをもって描くドラマにしてほしい」と語った。