いよいよ待ちに待ったプロ野球が3月30日に開幕する。この日を首を長くして待っていたプロ野球ファンは、これから始まるドラマに胸を躍らせているだろう。そこで、今回は、「プロ野球B級ニュース事件簿」シリーズ(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、開幕戦に巡る“珍事件”を振り返ってもらった。
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2リーグ制がスタートした1950年、開幕投手が試合前に失踪するという“前代未聞”の事件が起きた。
社会人の川崎コロムビアから新生球団・国鉄に入団した右腕・古谷法夫は、3月10日のマルハ戦(下関)に先発予定だったが、「はたして自分に開幕投手が務まるのだろうか?」と思い悩んでいたようで、この日、「病院に行ってくる」と宿舎を出たきり、戻らなかった。
開幕投手が雲隠れというまさかの事態に、西垣徳雄監督は、急きょ成田敬二を代役として先発させたが、0対2で敗れ、新生球団の歴史的第1戦を白星で飾れなかった。古谷は5回を過ぎたころに連絡を入れてきたが、カンカンに怒った西垣監督は罰金3千円を科した。
開幕戦ではとんだミソをつけたものの、古谷は同年、42勝94敗2分でセ・リーグ8球団中7位に沈んだチームの中にあって9勝を挙げている。
開幕戦史上初の敬遠サヨナラ暴投の珍事が生まれたのが、1982年4月3日の阪神vs大洋(横浜)。阪神の先発・小林繁は8回まで被安打2、二塁も踏ませぬ好投を見せる。
しかし、雨が降りはじめた9回に4安打を許して2対2の同点に追いつかれ、なおも2死一、三塁のピンチ。満塁策で次打者・高木嘉一を敬遠することになったが、外角に外した3球目がサヨナラ暴投に……。
全力投球が身上の小林は、軽く投げるスナップスローが苦手だったといわれ、完封勝利目前からの暗転劇は、“開幕戦の悲劇”として今も語り継がれている。
小林は翌83年も含めて4年連続開幕投手を務めながら、一度も勝つことができなかったという意味でも悲劇のエースだった(開幕戦の連敗は、2009年に横浜・三浦大輔が記録した「7」がワースト記録)。
1994年4月9日の近鉄vs西武(西武)は、野茂英雄に8回までノーヒットノーランに抑えられていた西武打線が0対3で迎えた9回裏に1死満塁と反撃。伊東勤がリリーフ・赤堀元之から開幕戦史上初の逆転サヨナラ満塁本塁打という劇的な幕切れとなった。