いずれにしても本人が元気なうちに、主治医が最期を迎える時の意思をきちんと確認しておかないとダメなんです。そういう意味では医者の教育は非常に大事です。

 今はPOLST(Physician Orders for Life-Sustaining Treatment:生命維持治療に関する医師指示書)というものがあるので、それを作っておくべきだと思いますね。POLSTは医者の処方箋と同じです。蘇生してはダメと指示されていれば、してはいけない。リビングウィルを持っている人がいますが、あれはあくまでも患者さんの主張にすぎないので、医者はそれを無視して治療をしても構わないんです。

■そんなに簡単に親の最期を決められるわけがない

 高齢者医療を真面目に考えなければいけない、と思ったのは、父の死を経験してからです。父は「寝たきりは絶対にイヤじゃ」と言ってたんですが、誤嚥性肺炎を繰り返して入院し、寝たきりになってしまった。

 入院当初はさんざん家に帰りたいと言ってましたが、1カ月もすると何も言わなくなった。目が死んでるんです。

 オムツや色々な臭いもして、あの威厳のあったオヤジが、流木のような姿でそこにいる。父親としてそんな姿を息子に見られるのは嫌だろうな、申し訳ないな、と思って。それに、胃ろうや静脈栄養をするような生かし方はしたくない。結局、主治医や在宅をやっている仲間と相談して、家に連れ帰ることにしました。

 家でオヤジを、いつもの部屋のいつものベッドに寝かせたら、突然動き始めたんです。グー、グーって。OKサインですよ。どれだけ家に帰りたかったんだか。3カ月も入院させてしまった罪悪感を、ものすごく感じましたね。

 家では点滴なし、水分は口を少し湿らせるだけ。最初の2日間は多少意識が戻って、全然喋れないはずなのにお袋と意思疎通した雰囲気があって。3日目から昏睡状態になり、5日目に僕が出張に出掛けようとして声を掛けたら、息をしていなかった。

 葬儀屋さんが、ご遺体が軽いですね、って言ったんです。それを聞いた時、ああ、オヤジ、いい死に方をしたな、と思いました。実は干からびて死ぬほうが自然で、つらくないんですよ。

 オヤジを家に連れて帰ることを決めた時は、自分が親の死を決めてるんじゃないかっていう、大きな不安というか葛藤がありましたね。それでも、絶対に寝たきりはイヤだとしつこく言っていたオヤジの望みは、かなえなきゃいけないだろうと。あのまま病院にいれば、あと半年くらいは生きたと思いますよ。1日に1本点滴するだけで、2~3カ月は生きますから。

 医療者でさえ、そういう不安や葛藤があるのだから、一般の人がそんなに簡単に親の最期を決められるわけがない。色々なプロセスが必要なんです。医者として、そのお手伝いをしてあげたいな、という気持ちがありますね。

■医者は生き方の終わり方を考える手助けもできなければ

 人間は100%必ず死ぬ動物です。人生には必ず、幕引きがある。本人と家族にとって、最も良い人生の幕引きの仕方はどうなのか。医者は患者を助けるだけでなく、「生き方の終わり方」を考える手助けもできなければいけないのではないか。医者も含めて国民の教育が必要です。その理解が広く進めば、多くの人が無駄に医療費をかけず、無駄な罪悪感にも苛まれずに死んでいけるのではないかと思いますね。

 僕自身は、年を取って身体が利かなくなったら施設に入る。家族の24時間介護は疲弊します。仕事でやる人たちは時間で交代ができるし、オムツ替えなども上手です。そのほうが安心して任せられる。そして、蘇生は絶対にしない。特に誤嚥性肺炎は、病気というより老衰からくる機能障害ですから、それで治療なんか一切しない。そのためにも、将来的にはPOLSTをきちんと作っておこうと思っています。

※『医者の死生観 名医が語る「いのち」の終わり』から

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