
「失うもなのがない私に守りはありません。いつでも戦います」ーー。
これは26日、亡くなった自民党幹事長などを歴任した野中広務元官房長官の現職時代の口癖だ。
長年、野中氏を師と仰いだ鈴木宗男元衆院議員は、涙ながらにこう語る。
「強面通り、相手と刺し違えても、筋を通す稀有な国士だった」
記者が産経新聞政治部時代、2年以上にわたり、野中氏が所属した平成研究会(現額賀派)を担当した。
戦闘的なイメージと異なり、政界きっての親中派でリベラルなハト派なため、保守的な産経の論調とは、ことごとくぶつかり、他の番記者の面前で、何度も「カミナリ」を落とされた事を思い出す。
しかし、野中氏は番記者が居なくなった後、当時の高輪宿舎に記者を呼び出し、「君の立場は分かっているのや。頑張れよ」と、声をかけてくれた事が幾度となくあった。
「立場や年齢、思想などわけ隔てなく人に接する」(自民党幹部)という優しさが、野中氏の根底にあった。
森内閣が瓦解する直前、公明党などから、野中総理待望論が出た。
本人は「200%ない」と煙幕を張ったが、深夜の記者との電話で思わず、本音を漏らした。