小室が大活躍していた90年代後半は「熱狂と不安の時代」だった。バブル経済そのものはすでに崩壊していたと言われているが、テレビ業界や音楽業界の好景気はまだまだ続いていた。『HEY!HEY!HEY!』『LOVE LOVE あいしてる』『うたばん』などのバラエティ志向の強い音楽番組が人気を博し、CD業界ではミリオンセラーが大量に出ていた。

 一方、95年の阪神大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件、97年の神戸市須磨区児童殺傷事件など、社会不安を煽るような大事件が相次いで起こったのもこの頃だ。日本経済全体はピークを超えていたが、CD市場は空前の好景気。そんな音楽業界のバブルの頂点に立っていたのが小室だった。

 小室の音楽が時代を席巻した要因は、J-POPに最新のダンスミュージックの要素を取り入れたこと。そして、そこにスパイスとして日本的な叙情性を加えたことだと思う。小室には「無機質なコンピュータで楽曲制作をする電子音楽家」というイメージがある。だが、そんな彼が密かに憧れていたのはフォーク界のカリスマである吉田拓郎だった。吉田の書く歌詞はストレートだが情感たっぷりで心に刺さる。1月3日放送の『ビートたけしの私が嫉妬したスゴい人』では、小室がそんな吉田の格好良さに憧れて、嫉妬を抱いていたことを明かしていた。

 小室が作る音楽には、耳に残るキャッチーさの奥に、まるで演歌のようなセンチメンタルな叙情性がほんのりと感じられた。それは、日本人が伝統的に最も好む要素である。彼が稀代のヒットメーカーとして一時代を築いたのは、ここぞというときに日本的な叙情性を巧みに取り入れた楽曲を作っていたからではないかと思う。

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