これを受けて、私たちは反対意見も載せて、社会のかけ橋をつくろうとしていると説明したものの、苦しい理屈にも思えた。もちろん、「売れるように」と思って書いたことはない。が、朝日新聞の購読者の期待に応え、読まれようとすることまでそう映っているとしたら、なかなか反論しがたい。

 そうこうして、会合は1時間ほどで終わった。

 翌日の朝刊。取材にきていた後輩記者の短い記事が載った。記事のデジタル版には今後の進め方について「議員同士の意見交換や有識者ヒアリングを通じて実現の具体策を検討する」とある。コラムで投げかけたかいがあった――と感慨深かった。

  ◇
 朝日新聞は最近、首相の意向として、衆院の解散時期を早くて秋以降と書いた。

 さあ、私たちは一部かもしれないが政治家が政策のリスクや代替案まで実際に語り出したとき、どうするか。その論理を丁寧に読者に示し、判断材料を与えるインフォームド・コンセントの一翼を担えるだろうか。問われているのは私たち自身でもあるのだ。

 私は、会合の翌日に入院した。ふたたび手術と入退院を繰り返すことになり、政治報道の現場から離れている現状が歯がゆい。

 それでも、私の思いは誰かがつないでくれると信じている。1本のコラムが議員たちに届き、勉強会につながったように。

著者プロフィールを見る
野上祐

野上祐

野上祐(のがみ・ゆう)/1972年生まれ。96年に朝日新聞に入り、仙台支局、沼津支局、名古屋社会部を経て政治部に。福島総局で次長(デスク)として働いていた2016年1月、がんの疑いを指摘され、翌月手術。現在は闘病中

野上祐の記事一覧はこちら