![物議を醸す「禁断の移籍」に踏み切った齋藤学(写真:Getty images)](https://aeradot.ismcdn.jp/mwimgs/e/8/620mw/img_e8492970a8897a2be3096ff7f7d1cece109257.jpg)
![ルイス・フィーゴ(c)朝日新聞社](https://aeradot.ismcdn.jp/mwimgs/9/1/620mw/img_917927b8a3bd16e4a63906b8563db90b136828.jpg)
Jリーグでは、2018シーズンの開幕を前に横浜F・マリノスから川崎フロンターレにFW齋藤学が移籍するというニュースが「禁断の移籍」として衝撃を与えた。
【“禁断の移籍”でサポーターによる過激な行為を受けた選手は?】
移籍というのは選手が環境を選ぶ自由を保障するものであり、移籍を経験せずに引退を迎える選手の方がまれだ。しかし、齋藤の移籍に関しては、クラブのエースとされる存在であること、下部組織出身であること、隣町のクラブへの移籍、大きな負傷からのリハビリ途上、昨季に背番号10番と主将を継承したこと、契約満了に伴う「ゼロ円移籍」であることなど「裏切り者」のレッテルが張られるのに十分な背景があった。齋藤自身が「恩を仇で返すような」というコメントを残しているように、あまりにもサポーターからの反感を買う条件が揃いすぎていた。
そもそも齋藤が10番を背負うことになったのは、横浜にとってクラブの顔とも言える存在だったMF中村俊輔がちょうど1年前にジュビロ磐田への移籍でチームを去ったからだった。クラブの象徴的な選手が2年連続で移籍するのは異例のこと。中村の移籍も物議を醸したが、今回は10番と主将の責務をたった1年で放り出して移籍しただけに、サポーターの心には一層大きな怒りの炎が宿った。
とはいえ、日本よりも早くから移籍が活発な欧州では、こうしたネガティブな感情を巻き起こすような移籍劇は何度も存在した。今回の齋藤と似たような移籍だったのは、トットナムからアーセナル(ともにイングランド)に移籍したソル・キャンベルだろう。
1992年にトットナムでデビューしたキャンベルは、クラブのキャプテンを務めるまでに成長していた。しかし2001年、キャンベルは契約満了に伴う「ゼロ円移籍」で同じロンドンのアーセナルへと移籍してしまう。彼は古巣トットナムのサポーターからは「Judas(ユダ)」という、裏切り者への表現として最上級の不名誉な称号を与えられ、引退するその時までトットナム戦での強烈なブーイングが止まることはなかった。
いわゆる「禁断の移籍」と呼ばれるような、移籍元クラブと移籍先クラブの関係性に端を発したものの中で、サポーターによる過激な行為が目についた移籍劇は、元ポルトガル代表FWルイス・フィーゴがバルセロナからレアル・マドリード(ともにスペイン)へ移籍した出来事だろう。