しかしもしもそうだとしても、議会の側が、子育てへの配慮を欠いていたことは事実だ。さらに言えば、彼女の背後に、子育てをめぐって困難を抱えている人が数多く存在していることに変わりはない。彼女が個人の力で、子育ての問題を解決していれば、問題はなかったことにされていたかもしれない。子育ては個人の問題だとする価値観が、これからも「当たり前」にされていたかもしれない。「代議士」として、子育てに苦労する人々の声を議会に届け、問題提起をすることは、非常に重要な意味を持っていると思う。
今回の問題を受けて、子育ては社会の問題であると今一度強く認識される必要があると思う。個人や家族のあり方が、これからさらに多様化していくことを考えれば、待機児童問題の解決や、保育の無償化などといった制度的な見直しは、できる限り早く行われるべきだ。それと同時にこの社会をかたちづくっている私たち自身が、子育てに対する認識を変えていかなくてはいけない。制度的にも、文化的にも、子育てが受容される社会にしていかなくてはいけない。変わるべきは緒方市議ではなく、私たちの社会のほうなのだと思う。