秩父夜祭りの屋台と花火(写真:秩父市観光課提供)
秩父夜祭りの屋台と花火(写真:秩父市観光課提供)
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秩父神社「つなぎの龍」
秩父神社「つなぎの龍」
三峯神社「隋身門」
三峯神社「隋身門」
寶登山神社社殿
寶登山神社社殿

 私が神社仏閣歩きをする際の参考書のひとつに、「江戸名所図会」という1830年代に刊行された地誌がある。全7巻20冊という絵入りの大作で、江戸時代の人々の生活がよくわかる大変便利な資料だ。この本の最初に絵入りで紹介されているのが、日本武尊(やまとたけるのみこと)と秩父の関係で「武蔵国(むさしのくに)」の名の由縁が示されている。

【秩父神社「つなぎの龍」や三峯神社、寶登山神社はこちら】

●武蔵国の語源?

 秩父には武甲(ぶこう)山という秩父神社の神体山でもある霊山があって、現在は石灰岩の採掘のため北側斜面は見るも無残だが、はるか昔、日本武尊が東征の折、戦勝祈願に際しこの山へ武具を納めたと図会に記されている。「武」具を納めた「蔵」なので「武蔵」という名となった――という理由づけがされているが、これは元禄時代頃から見られるようになった俗説のようだ。

 しかしながら、江戸の人たちが秩父に武蔵国の源流があると信じていたことは確かで、実際、関東にとって秩父は意味深い場所なのである。

●和同開珎きっかけの土地

 歴史の教科書に「日本で最初に流通した貨幣」として紹介されている「和同開珎」。初めて発掘された和銅が朝廷に献上されたことがきっかけで鋳造されたのだが、この和銅の産地が秩父だったことはあまり知られていない。現在も当時の露天掘り跡が残されており、献上を機に創建されたと伝わる聖神社は、発掘場に建っているとも言われ、金運のパワースポットとして全国から参拝者を集めている。

●歴史的な見どころたっぷり

 ところで、昨今では四国のお遍路(四国八十八箇所)ばかりが霊場巡りとして取り上げるが、それよりも歴史のある日本最古の霊場巡り「西国三十三所」、源頼朝発願の「坂東三十三箇所」とともに、「秩父三十四箇所」巡りはすでに室町時代から定着していたと言われ、これら3つの札所を全部まわる「日本百観音巡礼」は古い歴史をも持っている。

 そんな秩父にあって、「秩父三社」と呼ばれる代表的な寺社が秩父神社、三峯神社、寶登山(ほどさん)神社である。いずれの社の創建も紀元前から西暦100年くらいの間で、創建から2000年前後となる計算だ。

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