しかし戦後の軍事政権時代に、そのにおいは切ないほどに消えてしまった。歴史を伝えない貧相なものになってしまった。そこにあるのは植民地政策を否定する意図ではない。軍事政権を維持するだけの目的で行われた政策の結末である。

 しかしパテインにはわずかだが、あの時代の香りが残っていた。かつて物資はパテインの近くの港で水揚げされ、ヤンゴンに運ばれた。エーヤワディー川のデルタ地帯の中心でもある。採れた米もこの街に集まってきた。イギリスはヤンゴンに向かう鉄道を建設した。

 その線路をいまも列車が走っている。

 パテイン駅から列車に乗った。沿線の駅舎は古いが、使い込まれた歴史が漂っている。戦後につくられた鉄道や駅とは違う。軍事政権時代につくられた駅は、空疎な貧相さに支配されている。ヤンゴン駅やマンダレー駅はその典型だろう。

 6時間ほどでヒンタダに着いた。ホームではバナナの葉にくるんだ駅弁を売っていた。名物だという。ミャンマーではさまざまな路線に乗ったが、名物という弁当には出合っていなかった。おそらく戦前から、この駅で売られていたように思えた。

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