神社や仏閣には「~供養」という碑が必ずと言ってよいほど建っている。「針供養」や「筆供養」「包丁供養」といったところはよく見るのではないだろうか。
これは日本では永く、「付喪(つくも)神」という神さまがいると信じられてきたことに由来する。「九十九神」とも表記されるこの神さまは、100年使うと物には神や霊魂が宿ると信じられてきたところから生まれた。100年目を迎える前にきちんと供養しておこうという意味から、「99」という表記を「つくも」と読ませるようになったのだろう。
●「付喪神」に憑かれないために
ところで、誰もが知っている「ゲゲゲの鬼太郎」の中に登場するように、「付喪神」はよい神さまばかりとは言えないらしい。妖怪や悪霊の類の人の心を惑わす物の怪として過去の書物では多く扱われている。“道具を大切に扱わなければ、付喪神に取り憑かれ災難に遭うぞ”という教えは、今も腕のよい職人たちを中心とした人々の中に語り継がれているのである。
●八百万の神の中にはこんな神も
このような「物供養」は、日本独特の文化の上に成り立っている。耐用年数の長いモノ作りやリサイクルは、狭い国土の中で多くの人間が暮らすための知恵だったのかも知れないが、これらを実現させるために神や霊を持ち出すところは、八百万の神を信じる土壌があってこそのことだろう。唐傘(からかさ)や提灯(ちょうちん)のお化けの姿は、付喪神の代表格としてよく知られている。
●最近ますます注目の「人形供養」
さて、供養の中でも最近とくに注目されているのが「人形供養」である。
悪い「付喪神」に取り憑かれたら、人形ほど怖いものはないだろう。ぶんぶく茶釜はお化け屋敷にいてもトップスターにはなれないだろうが、市松人形の目が動いたら誰もが逃げ出すに違いない。
そう思う人が増えたのか、世の中に人形があふれ出しているのか、近年寺社では「人形供養」についての問い合わせが多いらしい。