毒蛇に胸を咬ませて、苦痛なく自殺したとされるクレオパトラ。現代医師が考えるその真相は…… (※写真はイメージ)
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 歴史上の人物が何の病気で死んだのかについて書かれた書物は多い。しかし、医学的問題が歴史の人物の行動にどのような影響を与えたかについて書かれたものは、そうないだろう。

『戦国武将を診る』などの著書をもつ日本大学医学部・早川智教授は、歴史上の偉人たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析。医療誌「メディカル朝日」で連載していた「歴史上の人物を診る」から、クレオパトラを紹介する。

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「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら……」と言ったのはパスカルだが、プルタークは、容姿よりも知性と洗練、そして莫大な富でカエサルやアントニウスを虜にしたとしている。

 クレオパトラの先祖はアレキサンダー大王の部将だったプトレマイオスで、大王の死後エジプトを領有し、クレオパトラまで15代270年同地を統治した。

 クレオパトラは18歳で王位を継承すると、伝統を守って実弟プトレマイオス13世と結婚したが、夫婦中は極めて悪く、双方の支持者の間で内戦状態となる。その頃、政敵ポンペイウスを追ってエジプトにやってきたローマの最高権力者カエサルと恋に落ち(というかクレオパトラが美貌と才知でカエサルを籠絡して)、ローマからのエジプト独立と単独女王の地位を確立した。

 二人の間には一子カエサリオンが生まれ、紀元前46年からはローマに移住したが、前44年にカエサルが暗殺されるとエジプトに逃れる。そしてカエサルの後にエジプトに勢力を張ったマルクス・アントニウスと恋に落ちるが、彼が後継者争いでカエサルの甥のオクタビアヌス(後のアウグストゥス)に敗れて自刃すると、ローマの捕虜となることを拒み、毒蛇に胸を咬ませて自殺した。

最高の毒薬?

 シェイクスピアの戯曲「アントニーとクレオパトラ」の最後の場面でクレオパトラは無花果の籠に入った蛇(aspic)を胸に当て、「良い気持ちじゃ。鎮痛剤(バーム)のやうで、柔らかでまるで空気のやうに、そして穏やかなこと……」と言って息絶える。aspicはアスプコブラのことである。

 シェイクスピアが参考にしたのは『プルターク英雄伝』で、クレオパトラが、死刑囚を最小の苦痛で処刑するためにあらゆる毒薬に興味を持って試験し、その結果aspicの毒が最善であること、すなわち眠くなるだけで苦痛がないことを知っていたからとしている。本当にアスプコブラの毒は苦痛を与えないのだろうか。

 地球上には2600種以上のヘビが知られているが、毒を持つのは約450種とされている。中でもコブラ科に属する蛇は毒性が強く、半致死量(LD50)で数ng/kgから数mg/kgとされている。コブラ咬傷の致死率はインドで約10%とされるが、神経・筋接合部のアセチルコリンレセプターを遮断するため呼吸筋の麻痺をきたし、死に至るまで、苦痛がないとは考えられない。楽な方法ならば他にも模倣者が出てきそうだが、歴史的にもクレオパトラの他にはヘビで自殺した例はなく普及しなかった。お決まりのPubMed(論文データベース)で検索しても、蛇毒による自殺の成功例はない。

 クレオパトラに関する医学論文はほとんどないが、シカゴのロヨラ大学精神科のOrlandらは、同時代の資料から、彼女が非常に高い知性と行動力の持ち主であり、プライドの高さと自己愛がその自殺の原因としている。

 コブラは古来、上下ナイルの支配者としてエジプトの王冠を象徴するものであり、彼女の最後の自己主張だったのではあるまいか。多くの自殺者は死ぬという目的以外に、死の方法自体で何らかのメッセージを残す。クレオパトラの場合、自殺が未遂に終わればかつて最高権力者カエサルの愛人として、またオリエントの女王として栄華を尽くしたローマに連行され、今度は捕虜として蛮人の族長と同様に晒し者になったはずである。このような屈辱は、誇り高いエジプトの女王には耐えられない。

 証拠はないが、彼女の演技的性格からすると、毒物の内服など外傷をきたさず確実に死に至る手段をとったうえで、古代から続くエジプト王朝の最期をそのシンボルであるコブラに託したというのが真相ではあるまいか。

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