シーズンMVPも期待されるソフトバンク・東浜巨 (c)朝日新聞社
シーズンMVPも期待されるソフトバンク・東浜巨 (c)朝日新聞社
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 ソフトバンクが、2年ぶりのリーグ制覇へ向け「マジック1」で迎えた2017年9月16日の西武戦。その大一番で先発マウンドを担ったのは、5年目の27歳、東浜巨だった。

「マジック1で登板できるのは、プロ野球人生で一回あるかないか。ありがたいことと思って投げました」

 二回、西武に先制の1点を許しながらも、粘りのピッチングで6回1失点と最小失点でしのいだ東浜に応えた打線が四、五回の2イニングで6点を奪って逆転。このリードを救援陣が守り抜き、東浜は今季16勝目をマーク。自己最多の勝ち星をまたもや更新した白星が、一昨年以来となる悲願のペナント奪回をチームにもたらした。

 勝負どころで、きっちりと勝ちゲームを作り上げる。その働きぶりから、東浜に「ホークスのエース」の称号を贈っても誰も異論を唱えないだろう。ただ、東浜がこの“頂”にたどりつくまでには、5年という長い苦悩の時間が必要だった。

 沖縄尚学高時代、2008年のセンバツで優勝。亜大では東都リーグの記録を塗り替える通算22完封、420奪三振。3球団競合となったドラフト会議では、王貞治球団会長がクジを引いて交渉権を引き当てた。誰もがうらやむ、アマとして“理想のキャリア”を歩んできた東浜がプロの世界へ飛び込んできたとき、誰もが当然、即戦力だと考えた。1年目から先発ローテーションで投げ、2桁勝利を挙げて新人王を取る。それが、ゴールデン・ルーキーに課された、いわば当然のミッションでもあった。

 ところが、2013年2月の宮崎キャンプで、首脳陣からまず指摘されたのは「体力のなさ」だった。名門・亜大は猛練習で知られる。それでもプロの練習は厳しい。桜の咲く前から、木枯らしが吹き始める季節まで続く「プロの1年」を乗り切るための体力をつける。そのための練習は、質量ともに半端ではない。さらに周囲の厳しい視線と期待、そして心身の疲労が積み重なった東浜は、キャンプ終盤からオープン戦にかけても、球速が上がってこなかった。

 大学時代には150キロ超もマークしたストレートは、130キロ台中盤止まり。巧みな投球術で、オープン戦3試合では防御率0.82。それでも、その“ひ弱いタマ”に、秋山幸二監督(当時)は、シビアに「開幕2軍」を通達した。開幕から約2週間後に1軍デビューを果たすも、2試合で計12失点という散々な結果で、再び2軍落ち。東浜は、無残なまでに『プロの壁』にはね返されたのだ。

 入団後3年間の勝ち星は3→2→1。その伸び悩んでいた右腕に、前任の秋山から引き継ぎ、2015年から監督に就任した工藤公康は着目していた。しなる右ひじ、下半身のスムーズな体重移動と球持ちの良さ。力任せではなく、オーソドックスで、理にかなった投球フォームは、故障が少ない投げ方だ。日本一に輝いた直後の2015年秋、その年わずか1勝止まりの東浜は、工藤から「指定強化選手」に指名された。プロ29年で通算224勝を挙げた名投手が東浜へ与えた課題は、1試合を投げ切り、さらに1年間を戦い抜く、その“真の体力”をつけるためのトレーニングだ。しかもそれは、ひたすら地道で、実に過酷なものだった。

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