さまざまな思いを抱く人々が行き交う空港や駅。バックパッカーの神様とも呼ばれる、旅行作家・下川裕治氏が、世界の空港や駅を通して見た国と人と時代。下川版「世界の空港・駅から」。第35回は中国の広州駅から。
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中国ではじめて列車の切符を買ったのが、この広州駅である。正規の窓口ではなく、駅前にたむろしていたダフ屋から上海までの切符を買った。もう30年も前の話だ。
当時、日本人の観光客は、個人で中国を訪ねることができなかった。パッケージツアーだけだった。
しかし外貨不足が深刻だった中国はひとつの窓口を香港につくった。世界に散らばる華人に限り、香港で個人用のビザを発給しはじめたのだ。
これに目をつけたのが、欧米人のバックパッカーだった。さまざまな国に暮らす中国人、つまり華人の国籍は多岐にわたった。国籍でビザを制限することができなかったのだ。その結果、香港までいけば、誰でも個人のビザをとることができるようになったのだ。社会主義の国にあいた小さな風穴だった。
バックパッカーたちにとって、中国は処女地だった。入国しにくい国を個人で旅することに異常なほど固執する彼らは、勇んで香港にやってきた。彼らを受け入れたのが重慶マンションのなかにあったゲストハウスだった。宿にはビザの申請用紙が置かれ、仲介する中国系の旅行会社の社員がやってきて、その場でビザの申請を受けつけた。