これから始まる新学期。9月1日は子どもの自殺が1年で最も多い日だ。苦しい気持ちを誰にも打ち明けられずに、学校へ向かう子もいるかもしれない。「不登校新聞」編集長の石井志昂さんは、自身も不登校だった経験から「予想に反して学校へ行かないことは『人生の詰み』じゃなかった」と振り返ります。
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あの日、学校へ行かなかったから、私は自分の命を拾ったのだと今でも思っています。1年のうちで最も子ども自殺が多くなる「9月1日」を前にすると、自分が不登校だったころのことをどうしても思い出します。
14歳のころ、学校へ行こうとすると自分が溶けてしまいそうなほどつらかったのです。先生のなかにはいい人もいたし、友人も好きでした。でも許せない先生もいたし、許せない同級生もいました。クラスのなかはいつも暴力が飛び交っていました。
階段から突き落とされた同級生もいました。それを見ていた私は一秒たりとも同級生を救おうとは思いませんでした。自分に暴力が向けられるのが怖かったからです。
小学生のころからずっと嫌われ、軽蔑されていた女子生徒は、いつも「クサイ」と言われていましたが、いまどうがんばっても彼女がどんな匂いだったのか思い出せません。彼女は私たちの幻想で苦しめられていたのです。
そんなことはいくらでもありました。私もいじめられもしたし、いじめたし、止めることもできませんでした。先生がいじめを先導しているときもありましたが、基本的には教室で飛び交う暴力が過ぎていくのを見守るだけの日々でした。
学校がつらいのは自分が弱いせいだとも思えたし、学校が悪いんだとも思えました。とにかく、あれだけまわりの空気を読んで自分を演じ、自分を殺してきた時間が長く続くと、自分が何を感じているのかよくわからない状況になっていました。
■「学校よりイヤなこと」無かった
「学校へ行けない」と親に伝えた日があります。どうしてそんな勇気が湧いたのか今でもわかりませんが、その日から登校していません。
それからすぐに楽になったわけではありません。私の場合は、しばらく「自分には生きる価値がない」と思う日が続きました。「生きていてはいけない」と死ぬ日を決めたこともあります。
結局、死ねずに、自分が情けなくてしょうがなかった日を重ねた結果、「もう一度、死ぬほどイヤな目に会うまで生きていよう」と決めました。あの日以来、いまに至るまで20年間、学校へ行くよりイヤなことなんて一度もありません。