歴史上の人物が何の病気で死んだのかについて書かれた書物は多い。しかし、医学的問題が歴史の人物の行動にどのような影響を与えたかについて書かれたものは、そうないだろう。
『戦国武将を診る』などの著書をもつ日本大学医学部・早川智教授は、歴史上の偉人たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析。医療誌「メディカル朝日」で連載していた「歴史上の人物を診る」から、偉大な芸術家・ミケランジェロを紹介する。
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【ミケランジェロ (1475~1564年)】
ヴァチカン宮殿にあるローマ教皇の書斎「署名の間」には有名なラファエロの「アテネの学堂」の壁画がある。中央には天上を指差すプラトンと地上を指差すアリストテレスが、階段には定規を持つユークリッド、ハーモニーを吟ずるピタゴラスら、ギリシャ古典時代の大学者が描かれている。
■芸術家をモデルに
画中の人物は、作者と同時代の尊敬する芸術家にモデルをとったという。実際、プラトンは老齢のレオナルド・ダ・ヴィンチの自画像にそっくり。アリストテレスは、大先輩ミケランジェロ(Michelangelo Buonarroti)をモデルにしている。階段下で頬杖をついて物思いにふける中年男性は、万物流転を説いたヘラクレイトスとされる。これもモデルは同じである。最初のデッサンにはないことから、尊敬する巨匠を目の当たりにし、書き加えたという。威風堂々たるアリストテレスよりこちらのほうが、鼻の曲がったミケランジェロの自画像に似ている。
米国ジョージタウン大学の循環器科医Espinelはヘラクレイトスとされる人物の右膝の皮下に黄白色の結節があること、ミケランジェロが尿路結石に苦しんだ記録があることから、これが痛風結節であるという仮説を提唱した。
「アテネの学堂」が描かれた1510年はミケランジェロ35歳。脂の乗り切った時期である。自ら鎧をまとって戦うことで有名な教皇ユリウス2世は、ミケランジェロを招き、システィーナ礼拝堂の天井画を描くよう命じた。「アテネの学堂」とほぼ同時期であることから、ラファエロはミケランジェロを頻繁に見る機会があったことになる。
早川智
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