今季限りで引退するウサイン・ボルト(写真:Getty Images)
今季限りで引退するウサイン・ボルト(写真:Getty Images)
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 8月4日からロンドンで開催される世界陸上。今大会の大きな話題は、すでに今季限りでの引退を表明しているウサイン・ボルト(ジャマイカ)のラストレース。200メートルは回避して個人種目は100メートルのみに絞るため、その登場は大会初日と2日目、そして4×100メートルリレーが行われる9日目の12日になる。

 ユース時代は200メートルと400メートルを専門にし、01年の世界ユース選手権では200メートルに出場して準決勝敗退。だが翌02年の世界ジュニア選手権の200メートルを15歳で優勝すると、03年は世界ユース選手権に戻って20秒40で制覇。17歳になった04年にはジュニア世界記録の19秒93を出して一気にトップ選手の仲間入りしてアテネ五輪にも出場。しかし、初めての五輪は予選落ちに終わり、翌年の世界選手権では決勝へ進出したものの、レース中に脚を痛めて最下位の8位に止まる悔しさを味わった。

 だが、06年には自己記録を19秒88まで伸ばすと、07年には19秒75に。2度目の出場となった世界選手権大阪大会では短距離3冠を獲得したタイソン・ゲイ(米国)に次ぐ2位になり、シニア初のメダルを獲得していたのだ。

 だが、それはボルトにとっては序章だった。陸上関係者だけではなく、世界に広くその名を知られるようになったのは08年5月31日だった。05年から本格的に指導を受けていたグレン・ミルズコーチに100メートルへの取り組みを申し込んだのは07年から。だがスタートからスムーズに加速する技術を短期間で習得し、ニューヨークで開催されたダイヤモンドリーグのリーボック・グランプリで、同じジャマイカのアサファ・パウエルが07年9月に出していた9秒74の記録を0秒02更新する9秒72の世界記録を出したのだ。本格的に取り組み始めてから、僅か5レース目の結果だった。

 08年8月の北京五輪では思い入れのある200メートルでの金メダル獲得を目標にしていたボルトだが、一気に広がった100メートルの五輪王者への可能性。そのチャンスをその勢いのままにものにしたボルトは、北京の100メートルでは無風の条件で9秒69、200メートルでも向かい風0・9メートルの中で200メートルと400メートルのスペシャリスト、マイケル・ジョンソン(米国)が96年アトランタ五輪でマークした、「破られることはないだろう」との見方がほとんどだった19秒32のをあっさり更新する19秒30の世界記録を出した。

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