リオ五輪後、一気にブレイクした卓球の平野美宇(JOCエリートアカデミー/大原学園)は、安定型のラリー志向から攻撃型のプレースタイルへの転換に成功し、今や世界王者・中国からも警戒される存在となった。昨年10月のワールドカップから始まった快進撃は、今年1月の全日本選手権優勝、そしてバースデーウインを飾ったアジア選手権(4月15日決勝)で史上最年少優勝と破竹の勢い。再び中国との対決が待つ世界選手権デュッセルドルフ大会(5月29日〜6月5日)への期待も自ずと膨らんでくる。次は中国に徹底マークされるが、当の本人は「また勝てばいい」とあっさりしたもの。一進一退の成長の末に手にした「勝者のメンタリティ」で強敵を迎え撃つ。
そんな平野も以前は、調子がいい時は波に乗っていけるが、試合中に一度崩れると立て直しが利かない精神的なもろさがあった。持ち前の芯の強さが時に頑固さとなって、気持ちの面やプレーの切り替えを阻んでいたのかもしれない。たとえ、試合でリードしていても、まるで負けているかのような頼りなさを見せることもあり、3歳半から小学校卒業まで二人三脚で平野に卓球を教えた母・真理子さんは「おどおどした表情がとても心配だった」と、2年ほど前のわが子を振り返る。
そんな平野がなぜこれほど強くなったのか? 本人はよく「控え選手だったリオ五輪の悔しさがバネになった」と話すが、この言葉の背景には2015年9月にリオ五輪の代表選考で落選した時のショックや、かたや代表入りを決めた同い年のライバル・伊藤美誠選手との大きな差、自分には格上の選手に勝つための武器がないという閉塞感があった。そこに風穴を開けたのが同年10月に平野の専任となった中澤鋭コーチの存在だ。中澤コーチは平野のプレースタイルを変えるのと同時に、平野のかたくなな物の考え方を柔軟にしようと意識改革を試みた。
その一つが、「自分から壁を作らず、いろいろな人と話してコミュニケーションをとる」こと。もう一つは「自分で考え、それを周囲にちゃんと伝える」こと。そして、「新しいことに挑戦する勇気」だ。
平野は自分のことを「どこかプライドが高くて、人見知りのところがある」と分析するが、それを見抜いた中澤コーチから「枠を超えて人の意見を聞くと考え方の幅が広がり、ひいては卓球の幅も広がる」と教えられたという。また、「自分は前のコーチに頼りすぎていた」という反省から、練習内容や戦術について積極的に考え提案するようにもなった。こうした日々の心がけと練習の成果が少しずつ結果に表れる中で、以前なら失敗を恐れて踏み出せなかった平野も、「成功すれば格上の選手を倒す勢いや爆発力が手に入るのだから、新しい卓球に挑戦してみよう」とモデルチェンジを決意することができ、たとえうまくいかない時でもコーチと自分を信じ、その決意を貫けたという。