認知症はつい10年前まで「痴呆」と呼ばれ、何もわからなくなる、なったら人生の終わりだ、徘徊で大変だ……といわれてきた。だが近年、本人が思いを語り始め、日本で初めて当事者団体ができ、安倍首相に政策を提言。23年前「痴呆病棟」で取材を始めた朝日新聞記者が、当事者の変化と最先端の「いま」を、『ルポ 希望の人びと ここまできた認知症の当事者発信』で伝えている。著者である生井久美子(いくいくみこ)さんにご寄稿いただいた。
* * *
認知症は予備群(MCI)も入れると、2012年当時で860万人をこえ(厚生労働省研究班推計)、同研究班代表の朝田隆さん(現・筑波大学名誉教授)は、「2017年1月時点ですでに1000万人をこえた」と予想している。認知症になる人の割合(有病率)は、85~90歳では実に半数に迫る。夫婦とも平均寿命まで生きると、どちらかが認知症になる計算だ。私たちは認知症に向かって生きているといってもいい。「認知症だけにはなりたくない」とおそれる人も多いが、「当事者発信」の取材を続けて、不安は薄れ、希望を感じるようになった。認知症になってからも、新しくよりよく生きることができる。それは夢物語ではない、と実感したからだ。
認知症の「当事者発信」はどのように広がってきたのか。
認知症になってからも発信できるのは、「特別な人」と思われがちだが、そうではない。
最初は「人生は終わった」と落ち込み、茫然自失。自殺を思った人もいる。そんな「早期診断→早期絶望」した人が、同じ経験をもちながら前向きに生きる人と出会い、心底話し合い、立ち直ってゆく。つながり、発信を始める。
「支援者」はいっしょに歩む「パートナー」へ。医師や行政まで変え、認知症の常識を変える「当事者の力」!
39歳でアルツハイマーと診断された丹野智文さんは、「2年で寝たきり」の情報に落ち込んでいたとき、診断後5年たっても明るく元気な竹内裕(ゆたか)さん(恩人、タヌキのおっちゃん)に出会って、わくわくと生きる力を取り戻した。いま、仙台で認知症と診断された本人のための相談窓口「おれんじドア」を開くリーダーだ。