小田和正(おだ・かずまさ)/1947年神奈川県横浜市生まれ。70年東北大学工学部建築学科卒業。76年早稲田大学大学院理工学研究科建設工学専攻(建築学)修士課程修了。69年オフコース結成(当時の表記はオフ・コース)。翌70年プロとして音楽活動を開始し89年に解散、ソロアーティストに。2016年にベストアルバム「あの日 あの時」発表(『早稲田理工 by AERA2017』より)
小田和正(おだ・かずまさ)/1947年神奈川県横浜市生まれ。70年東北大学工学部建築学科卒業。76年早稲田大学大学院理工学研究科建設工学専攻(建築学)修士課程修了。69年オフコース結成(当時の表記はオフ・コース)。翌70年プロとして音楽活動を開始し89年に解散、ソロアーティストに。2016年にベストアルバム「あの日 あの時」発表(『早稲田理工 by AERA2017』より)

 日本の音楽シーンの第一線で活躍を続ける小田和正さん。実は、早稲田大学大学院で建築学を専攻していた経歴を持つ。それから40年。かつて学んだ建築への思いを、『早稲田理工 by AERA2017』で振り返っている。小田さん直筆スケッチや、大学院修了時に手がけた設計図まで放出してくれているが、今回は特別にインタビューの一部を公開する。

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「和正は早稲田の池原研(池原義郎研究室)が合うかもしらんな」

 大学院進学について相談した小田和正さんに、在籍していた東北大学工学部建築学科(当時)の指導教授はこうアドバイスしたという。

 高校時代は医者志望だったが、下見に行ったある医学部の「陰鬱な雰囲気」に嫌気がさしてその日のうちにやめた。次の候補に浮上したのが建築家だ。ときは高度経済成長期。全国で建築ブームがきていた。

「建築家になるには絵がうまいほうがいいらしいって聞いてね。絵を描くのが好きだったし、理系志望だったけれど、研究室にこもっているより、社会と接点のあるほうがいいなって。建築を選んだ理由はそんなだね」

 そして東北大へ。

「実家は横浜だから、地方へ行けば冒険気分が味わえるし、何より下見で目にした東北大の周りの風景が気に入って、『ここに来よう』って決めたんだ」

 4年間を仙台で過ごし、大学卒業後も就職をする気になれず、「なんとか学生時代を引き延ばそう」と東京の私大の大学院への進学を考えた。

「建築雑誌に出ている記事は東京の大学の先生が多かったし、産学協同をやっている東京の大学に興味があった。それに、私立のキャンパスライフはなんか楽しそうだなって不純な動機もあってさ(笑)」

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