例えば音楽にしても、ネット配信が中心になれば、CDと比べ薄利しか得られず次につながっていかない。だから「今後のために、消費者がある程度は無駄なお金を出すことも大事なこと」だとマツコは言う。

 別にマツコは、ネットの存在を否定しているわけではない。ネット社会の隆盛は、一時の流行とは異なる、変えようのない大きな歴史の流れだとわかってもいる。ただ、それに唯々諾々と従いたくはない。「やっぱり、アタシ一人ぐらいは、最後まで抗ってみようかな」(同書)とマツコは考えるのだ。

 そんなマツコにとって、「産業」とは失われてゆくものであるだけでない。ずっと残っていく大切なものの象徴でもある。

『夜の巷を徘徊する』での見学中、鉄鉱石を溶かして鉄を取り出す溶鉱炉の必要性は、いくら技術が進歩しても変わらないと知り、感嘆するマツコ。夜空を赤く染める炎は、過去の思い出のなかだけのものではなく、まさに「いま存在価値のあるもの」なのだ。

 そしておそらくマツコにとってのテレビもまた、そのようなものなのではないか。

 私はそう思う。

太田省一(おおた・しょういち)
1960年生まれ。社会学者、著述家。東京大学大学院社会学研究科博士課程単位取得満期退学。テレビと戦後日本の関係が研究および著述のメインテーマ。それを踏まえ、現在はテレビ番組の歴史、お笑い、アイドル、ネット動画などメディアと文化に関わる諸分野、諸事象について執筆活動を続けている。著書に『芸人最強社会ニッポン』(朝日新聞出版)、『中居正広という生き方』『社会は笑う・増補版-ボケとツッコミの人間関係』(いずれも青弓社)、『紅白歌合戦と日本人』『アイドル進化論-南沙織から初音ミク、AKB48まで』(いずれも筑摩書房)、共編著に『テレビだョ!全員集合-自作自演の1970年代』(青弓社)がある

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