そしてマツコのノスタルジーは、単なる「昔はよかった」というような懐古趣味に終始するものではない。むしろ同時代の支配的空気に取り込まれまいとするためのものだ。言い方を換えれば、マツコ自身を形づくった「ほかの家とは違う、ちょっと特殊な環境」というルーツを折に触れて再確認するためでもあるのではなかろうか。

■「産業」への愛着

 溶鉱炉の炎と鉄道車両。この二つの心象風景は、結局何を物語っているのだろう?

 それはきっと「産業」に対するマツコの愛着だろう。

 先ほど触れた『夜の巷を徘徊する』でも、マツコは「鉄がすべての始まりなのよ、日本の産業の」と力説していた。鉄道もまた、言うまでもなく産業革命の時代に発明され、工業化の歴史を支えてきたものだ。

 マツコは、ネットに安易に近づかない。ネットに対しマツコなりの危惧があるからだ。

 そしてネットの世界について語るときにも、「産業」という言葉は登場する。

「安いこと、便利なことは、一見素晴らしいけど、ネットはそれを究極に追求するわけよね。(中略)そういう作業って、ラクだからありがたいんだけど、それだけが『正義』になると、もはやそこに『産業』というものがなくなってしまうんじゃないかしら」(同書)

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