この1970年代前半生まれは「団塊ジュニア世代」と呼ばれる。戦後まもなく生まれたベビーブーム世代を「団塊の世代」と呼ぶが、その子ども世代に当たるのでその名がついた。

 ただ、マツコの両親は「団塊の世代」より年齢がかなり上だった。昭和ヒトケタ生まれで、戦中が思春期だった世代。だから、マツコ家は貧しいわけでもなかったが、高度経済成長からバブル景気の時代になっても質素な生活を心がけていた。バブルの頃になっても洗濯機はずっと二槽式、レコードが作られなくなるまでCDプレーヤーも買わなかった(マツコ・デラックス『デラックスじゃない』双葉社)。

 つまり、当時多くの日本人が抱いていた「横並び意識」にもとらわれることなく、マツコ家は自分たちのライフスタイルを貫いたのだ。

 任天堂のファミリーコンピュータが発売されたのが1983年。マツコが小学生の頃である。当然、友だちは夢中になった。だがマツコの家ではやはり買わなかった。当時のマツコは買ってもらえないことをつまらないとも思った。「でも、いまから思うと、これでよかったんだね」とマツコは振り返る。「ほかの家とは違う、ちょっと特殊な環境に生まれたことが、いまのアタシを作ったのよ」(同書)。

 マツコは、「周りのゲームやファミコンをしている子たちのこと、子ども扱いしてた」と言う。「友達と遊んでいても、全然楽しくなかった。だからって、仲間外れにはならない。[私の]話がおもしろいからか、優等生も不良たちも、みんな集まってきた」(同書)。

 ここには、いまのタレント「マツコ・デラックス」に通じるものがすでに見て取れる。同時代の空気を吸いながら、そこに完全に取り込まれることなく一定の距離を保つ。そんな同時代との絶妙な距離感が、マツコの発言にある優れた批評性のベースになっているのは間違いない。

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