プロ2年目の2014年には、そのプレーで日本代表のアルベルト・ザッケローニ監督を唸らせ、ブラジル・ワールドカップのメンバー入りこそ逃したが、バックアップメンバーに選出。シーズンを終えると、欧州チャンピオンズリーグの常連で、オーストリアの名門クラブ、ザルツブルクへと旅立った。
もっとも、2014年に立ち上げられたリオ五輪日本代表(当時はU-21日本代表)では、これまで常に主役を演じてきたわけではない。
2014年は、ひとつ下の年代別代表チームにあたるU-19日本代表の活動を優先。2015年に入ると、今度は活躍の場をヨーロッパに移したため、リオ五輪日本代表(当時はU-22日本代表)に合流する機会がほとんどなかった。
そうした事情もあって、チーム戦術を自分のものにする時間がほとんど取れないまま迎えた今年1月のリオ五輪アジア最終予選。チームは準決勝でイラクを下して6大会連続となるオリンピックの出場権を獲得したが、南野自身はノーゴールのまま準決勝を終え、ザルツブルクの要請によって離脱が決定。「個人的にはゴールが取れなかったのが残念。優勝をみんなに託して帰りたいと思います」という言葉を残してチームを離れた。
一方、2シーズン目を迎えたザルツブルクでは「シュートレンジを広げて、サイドからでも得点を奪う」ことを目標に掲げ、シーズン前半で7ゴールをマーク。アジア最終予選を挟んで迎えたシーズン後半にも3ゴールを積み重ね、「ノルマだった」というふた桁ゴールに到達。再び合流したリオ五輪日本代表(U-23日本代表)でも、3月のメキシコ代表戦、5月のギニア代表戦でゴールをマークする。最終予選が終わってから「このチームで自分がどうすれば生きるのか、すごく考えた」ことで生まれたゴールだった。