「人がけがをする、亡くなるのが大嫌いなんです。だから、どうすれば災害でけがをする、亡くなる人がいなくなるかを考えます」
こう語るのは、兵庫県北部にある養父市の危機管理監、西田浩次さん(56)だ。2014年、高校卒業後から勤めた陸上自衛隊を退職し、故郷である同市に戻ってきた。今は、自衛隊での災害支援の経験を生かし、市民の命を守る防災対策に取り組んでいる。
これまで数々の死に触れた経験が、冒頭の発言につながった。自衛隊の過酷な訓練では、地上数千メートル からの降下訓練でパラシュートが開かないなどの理由で、仲間が亡くなった。阪神大震災や東日本大震災といった災害支援の現場でも、多くの死に立ち会ってきた。
「災害をなくすことは不可能に近いが、災害への備えをすることはできる」(西田さん)
西田さんが自衛官になったのは、「現実路線を選択した結果」だという。現在は同市で農業を営む父親も、元自衛官。父親から勧められ、陸上自衛隊の「少年工科学校」(現在の高等工科学校)に合格したが、「普通の高校生になりたい」と地元の高校に進学した。
高校では弁護士を志し、複数の大学に合格したが、陸上自衛隊にも受かっていた。西田さんは5人きょうだいの2番目。いざ進路を決める段階で学費や下のきょうだいのことが気になった。迷う中で既に自衛官となっていた姉に相談し、自衛隊入りを決めた。
父親も姉も、仕事についてはあまり話さなかったため、自衛隊の仕事や生活については、ほとんど知らなかった。学生時代は運動部に所属していたこともあり、敬礼や起立の姿勢、服の着方などが細かく決まっていることにはすぐに慣れた。しかし、「居室に並んだ二段ベッドの上に寝るのは慣れず、寝ている間、何度も落ちかけた」と苦笑する。
災害時などの過酷な環境に適応する能力を養う「レンジャー訓練」も驚きの連続だった。1日から1週間程度、山中などでサバイバル訓練を行うが、食糧がない場所で自活するためにカエルやヘビ をさばき、食べずとも生き延びられるように缶詰に入った茶わん2、3杯分の米を十数人で分ける。訓練後には、部屋のベッドに食べなかった分の缶詰が山盛りになっていたが、携行食は、食べ過ぎないようにまずくしてあるうえに高カロリー。あまり食べる気にならなかったという。