坂本龍馬像
坂本龍馬像
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 歴史上の人物が何の病気で死んだのかについて書かれた書物は多い。しかし、医学的問題が歴史の人物の行動にどのような影響を与えたかについて書かれたものは、そうないだろう。

 日本大学医学部・早川智教授の著書『戦国武将を診る』(朝日新聞出版)はまさに、名だたる戦国武将たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたことについて、独自の視点で分析し、診断した稀有な本である。特別に本書の中から、早川教授が診断した、あの坂本龍馬の病を紹介したい。

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坂本龍馬(1835~1867年)
【診断・考察】注意欠陥・多動性障害(ADHD)

 筆者は整理整頓が下手で、自宅も教授室も乱雑を極めている。原稿の締め切りも含め、約束事は苦手である。字は汚いし不注意ミスが多く、辛抱がない。子どもの頃、通信簿には「注意力散漫で落ち着きがない」と書かれ続け、両親を心配させた。

 しかし最近になって、これは持って生まれた性分で、注意欠陥・多動性障害(ADHD)というものらしいと自覚した。調べてみると、この障害を疑われる人物には、レオナルド・ダ・ヴィンチ、モーツァルト、バイロン、ヴェルヌ、エジソン、アインシュタイン、ピカソ、ジョン・レノン、チェ・ゲバラなど、各界のエポックメーカーがずらりとあげられている(もちろんADHDだから画期的な人物になったわけではない)。そして日本人のADHDの候補には、小説やドラマで人気の坂本龍馬がいる。

 龍馬は天保6年(1835年)、土佐藩郷士の次男として生まれた。生家は祖父の代に郷士株を取得した商家(質屋)で、身分は低いが経済的には恵まれていた。しかし、幼年の龍馬は寝小便癖が直らず、泣き虫で勉学もできず、いじめにあって塾を退学、姉の乙女に学芸を教えてもらっている。

 ただ、剣術は得意で14歳より日根野弁治道場に入門し小栗流目録を得たのち、江戸の千葉定吉道場に入門し、北辰一刀流の目録も得ている。ペリー率いる黒船が来航し開国を迫る時代の大きな転機にあって、龍馬も当初は攘夷思想に染まるが、武市半平太以下の「土佐勤王党」とは袂を分かち、脱藩。海軍力を持って外国に対抗する必要があると説く幕府軍艦奉行並・勝海舟に心服し弟子になる。海舟が神戸に海軍操練所を設立するとその塾頭を任され、操練所廃止後は長崎に亀山社中(後の海援隊)を設立、薩摩藩名義で銃や蒸気船を調達して長州に転売し、薩長同盟の基礎を築く。

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