1992年に発売された写真集『裏小泉』では、ライターの前田正志を太宰に見立て、「架空対談」を行っています。そこでも小泉今日子は、太宰に対する共感を口にしています。そしてこのとき、同時に三島由紀夫に対する不信を彼女は語っています。
<三島さんの書かれたものって、話は面白いものもあるんだけど、きれいな言葉がものすごくきれいに並べられて、でもすこしも心に触れてこない。(中略)だけど、ものすごく頭がよくって才能があって、今もてはやされてる人っていうのは、みんな三島由紀夫さんみたいなタイプの人だと思う。歌の詞なんか聞いたりしても、ものすごくいいテーマを、ものすごくいい言葉で書いてあって、だけど、「ねえ、あなたはホントに、こんなことを感じてるの?」って思うことがよくある>
三島の文章は、「華麗な言いまわし」に彩られ、難しい単語も続々あらわれます。そこがファンには魅力なのですが、「内容」よりも「書き手のすごさ」を伝えようとしていると反発する読者もいます。
太宰が使う言葉は、常に平明です。彼の作品に、生まれ故郷の津軽方言で書いた『雀こ』という散文詩があります。そのなかで、「子ども」を表す単語として「ワラハ」が用いられています。津軽の方言で「子ども」を意味するのは、本当なら「ワラシ」か「ワラハド」です。太宰は、広い範囲の読者にすんなりわかってもらえるよう、一般にはなじみのうすい表現を避けたのです。彼が「わかりやすさ」を重んじていたことがよくわかります。
小泉今日子は、「自分のすごさ」を積極的にアピールすることがありません。たとえば、彼女が書く歌詞を見ても、書評と同じく、中身は詰まっているのですが表現は簡素です。「これみよがしな決めフレーズ」の類は、ほとんど見受けられません。
バブル時代には、ポエムや小説を書いて「自分がただ者でないこと」をアピールする一群の女性アイドルがいました(助川幸逸郎「『文学系アイドル』がいた時代とは」dot.<ドット>朝日新聞出版 参照)。彼女たちの綴る文章には、「見慣れない漢字」や「凝った言い回し」が現れます。小泉今日子の歌詞や書評とは対照的です。
「ねぇ、あなたはホントに、このことを感じてるの?」――この言葉は、「感じた内容」より「感じている私」が印象づけられる、「三島的文体」を疑うものです。小泉今日子が「表現」に対し、どのような考え方をもっているかがよくわかります。
ちなみに、「ただ者でなさ」をポエムで訴えるアイドルだった斉藤由貴は、「好きな作家」として「三島由紀夫」を挙げていました(注3)。
※助川幸逸郎氏の連載「小泉今日子になる方法」をまとめた『小泉今日子はなぜいつも旬なのか』(朝日新書)が発売されました
注1 シス・カンパニー公演『草枕』パンフレット
注2 注1に同じ
注3 「Heart Break Interview」(「ボム」1985年9月号 学習研究社)
助川 幸逸郎(すけがわ・こういちろう)
1967年生まれ。著述家・日本文学研究者。横浜市立大学・東海大学などで非常勤講師。文学、映画、ファッションといった多様なコンテンツを、斬新な切り口で相互に関わらせ、前例のないタイプの著述・講演活動を展開している。主な著書に『文学理論の冒険』(東海大学出版会)、『光源氏になってはいけない』『謎の村上春樹』(以上、プレジデント社)など