落語家・春風亭一之輔さんが週刊朝日で連載中のコラム「ああ、それ私よく知ってます。」。今週のお題は「徳川家康」。
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1月28日は私の誕生日。45歳。前日は盛岡で13年目になる新春落語会。32歳から通っている。真打ち昇進前のペーペーの頃。いや、今でこそ「師匠」なんて呼ばれてるけど中身はペーペーのままです。
ちなみに大河ドラマ『どうする家康』で話題の徳川家康の32歳はどうだったのか? 西暦1573年、元亀4年。元亀だって。『元亀』って元号、好きだ。「ゲンキ4年!」なんて聞くと「いいね! ずっとゲンキでいたい!」と思う。「ゲンキ100年!」なんて青汁やらグルコサミンのCMのキャッチコピーみたいでゴキゲンです。あそうそう、家康32歳だ。この年の家康トピック→武田信玄死去、室町幕府滅亡、本多忠勝らに長篠城を攻めさせる……だって。自分は何もしてなかったのかな? では家康の45歳はどうだったのでしょう? 「浜松城から駿府城へ転居、秀吉の妹と結婚、秀吉の家来になる」。なかなか波乱の年ですな。引っ越し、結婚、上司が代わる……めまぐるしい45歳。自分だったらしんどい。
私が45歳になったばかりの1月28日早朝。盛岡の某ホテルでメガネを捜しています。ここ1時間以上捜している。目につくところは勿論、ベッドの下、ゴミ箱の中、シーツの中、冷蔵庫の中、シャワールームまで捜したのに見つからない。陽水さんいわく「捜すのをやめたとき、見つかることもよくある話」ということで、一度捜すのをやめ、この原稿に向かっている。こんなとき家康ならどうする?
信長なら「出てこねえなら ホテルごとぶっ壊してやろうか! マイメガネ」というところか。秀吉なら「もういいよ これから眼科行ってレーシックしてくるよ マイメガネ」かな。家康は「まぁいいか 見つかるまで待とう ビコーズアイム家康」ですか? いや、そろそろチェックアウトが迫ってるんですよ。なんとかせねばならんのです、家康殿。