どうすれば小泉今日子のように、齢とともに魅力を増していけるのか―― その秘密を知ることは、現代を生きる私たちにとって大きな意味があるはず。

 日本文学研究者である助川幸逸郎氏が、現代社会における“小泉今日子”の存在を分析し、今の時代を生きる我々がいかにして“小泉今日子”的に生きるべきかを考察する。

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1991年、小泉今日子は「あなたに会えてよかった」をリリースしました。この曲はミリオンセラーとなり、彼女のシングル盤の売り上げ記録を更新します。みずから手がけた歌詞は、日本レコード大賞作詩賞に輝きました。

 自分で歌詞を書くアイドルは、そのころ珍しくありませんでした。そのなかで、メジャーな作詞賞を受けたのは、小泉今日子ただ一人です。

 よく知られているとおり、小泉今日子は2006年から、読売新聞の書評委員をつとめています。作詞で賞を獲り、大新聞に定期的に寄稿する。「作家」としてこれほど実績のある「アイドル出身者」は稀です。

 小泉今日子は、もともとは「書いたものを公表すること」に積極的でなかったようです。彼女が最初に歌詞を書いたのは、1985年に発売されたアルバム「Flapper」に収められた「Someday」でした。レコーディングを担当していた田村充義が、このときの事情を回想しています。

<作詞も「せっかくだから小泉さん書いてみない?」って振ってみたら不承、不承(笑)「こんなので」って書いて渡してくれて。(中略)あまり自分でやる気はなかったようですが、僕は当時、彼女を見ていて、話が上手い人だと思ったんです。TBSの『ザ・ベストテン』で彼女が紹介した本がベストセラーになったということがあったり、この本やこのドラマのここが面白かったという説明をすごく的確に言う人なので、「歌詞書けるんじゃないかな?」って思って>(注1)

 ピアノを弾くときには、できれば他人に聴いてもらいたいと願い、文章を書いたら、なるべく広く読まれたいと望む――これが「自然な心の働き」です。自分に恵まれた表現能力は、可能な限り使いたくなるのが「道理」のはずです。小泉今日子は、傑出した「言葉をあやつる力」を持ちながら、そこに背をむけていました。

 彼女と9年間結婚していた永瀬正敏は、「あの人はああ見えてすごくシャイな人」と言っています(注2)。小泉今日子当人は、自分の特徴についてこう語っています。

<……世間のみなさんは、私はトンがったことを発信するアイドルだと思っただろうし、実際そう見えていたと思います。でも、本当の私はそういうことを自発的に発信するタイプではないんです。子どものころから内向的で、家にいるのが好きなタイプ。部屋で一人で本を読んだりレコードを聴いたりマンガを読んだり。(中略)私に何か才能があるとすれば、人が提案したものを吸収して「自分らしい形」にすることなんです>(注3)

 詞を書くことは、一般的に考えるなら「人が提案したものを吸収して『自分らしい形』にすること」ではありません。それよりずっとストレートな「自己表現」です。このことと、小泉今日子が作詞に及び腰だった理由はおそらく関連しています。「あからさまに自分の世界を語ること」は、彼女にとって抵抗があったのです。

「『文学系アイドル』がいた時代とは」につづく

※助川幸逸郎氏の連載「小泉今日子になる方法」をまとめた『小泉今日子はなぜいつも旬なのか』(朝日新書)が発売されました

注1 田村充義インタビュー(『80年代アイドルカルチャーガイド』洋泉社 2013)
注2 永瀬正敏ロング・インタビュー(『アクターズ・ファイル永瀬正敏』キネマ旬報社 2014)
注3 小泉今日子インタビュー(川勝正幸『ポップ中毒者の手記(約10年分)』河出文庫 2013)

助川 幸逸郎(すけがわ・こういちろう)
1967年生まれ。著述家・日本文学研究者。横浜市立大学・東海大学などで非常勤講師。文学、映画、ファッションといった多様なコンテンツを、斬新な切り口で相互に関わらせ、前例のないタイプの著述・講演活動を展開している。主な著書に『文学理論の冒険』(東海大学出版会)、『光源氏になってはいけない』『謎の村上春樹』(以上、プレジデント社)など