どうすれば小泉今日子のように、齢とともに魅力を増していけるのか―― その秘密を知ることは、現代を生きる私たちにとって大きな意味があるはず。

 日本文学研究者である助川幸逸郎氏が、現代社会における“小泉今日子”の存在を分析し、今の時代を生きる我々がいかにして“小泉今日子”的に生きるべきかを考察する。

バブル時代の小泉今日子は過剰に異常だったか(中)よりつづく

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■「過去の人」にならないために必要なこと

 バブルが崩壊した後も、小泉今日子はたくさんのことをまわりから受けとっています。

 1995年2月、彼女は永瀬正敏と結婚しました。永瀬は、ジム・ジャームッシュ監督の『ミステリートレイン』をはじめ、海外映画に出演した経験が豊富です。このため、世界各地のさまざまな映画関係者とつながりを持っています。

 永瀬正敏との9年におよぶ結婚生活の中で、小泉今日子は異国の監督・俳優と交流を深めました。自作の『デッドマン』の公開に合わせジャームッシュが来日した折は、主演のジョニー・デップ、永瀬の4人で夜遊びをしたとか。アキ・カウリスマキ監督(代表作『ラヴィ・ド・ボエーム』など)を、永瀬とパリのカフェで囲んだこともあったようです(注1)。世界的映画人とのこうした出会いは、女優を続けていくうえで刺激となったに違いありません。

 小泉今日子は2001年、相米慎二監督の遺作『風花』に主演しました。この映画での経験は、彼女にとって画期的なものだったようです。そのときの感じたことを、インタビューに応えて次のように語っています。

<レモン(小泉今日子が『風花』で演じた役名)の感情みたいなものを考えていたときに、それが自分のものなのかレモンのものなのかなんかよくわかんなくなっちゃうみたいな。軽く狂っちゃってるかも(笑)って気持ちを初めて感じました。(中略)永瀬君と結婚して、たまに彼がそういう顔をしてるところを見たことがあって、何なのこの人って思ってたんだけど、それが初めて実感として理解できたという感じ>(注2)

 相米慎二は、独特の撮影手法で知られています。具体的な指示はほとんど出さず、何を求められているか俳優自身が気づくまで、何度もやりなおしをさせるのだそうです(注3)。これまで知らなかったタイプの演出に身をゆだねた結果、小泉今日子は、役者として新しい境地に達したのです。

 小泉今日子が、類いまれな個性を確立したのは、芸能界入りした後になってからです。先端的な音楽の知識も、映画や文学を見わける眼も、デビュー当初からそなわっていたものではありません。本格的な演技力も、永瀬正敏や相米慎二とかかわる中で培われています。

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