80年代に注目されていた「少女」性は、ゆたかさに支えられた「森のなかのお姫さま」の世界といえます。最盛期の「オリーブ」は、「大人にならない文化」がきわまったところに生まれた花園、「森のなかのお姫さま」の聖域でした。小泉今日子にとって全面的に共感できる雑誌ではなかった気が、私はしています。
■Kyon2と「オリーブ少女」、それぞれの「それから」
「オリーブ」がもっとも読まれていたころの中高生は、80年代末のバブル絶頂期に大学に入学します。「生産から遠ざけられた主体」の象徴だった「オリーブ少女」の一部は、「男に貢がせるバブルおねえさん」という、べつの「生産しない主体」に転向しました。見かけは正反対の「オリーブ少女」と「バブルおねえさん」ですが、両方を経験している人はすくなくありません。
「オリーブ少女」を経て「バブルおねえさん」になったひとたちは、いまだに「貢がせ自慢」をしていたりします。心のどこかで、「お姫さま」でありつづけたいと念じながら――。
これに対し小泉今日子は、もはやじぶんが「少女」として生きられないことをわきまえています。
「……今の私は10代の人達の儚く消えてしまいそうな魅力に、クラクラとノックアウトさせられるだけ。いろんな経験や出来事が血となり、肉になってしまった今、海の泡になってしまいたいという気持を胸に抱いている事はズルイ事なのだと思う。反則なのだ」(小泉今日子「海の泡」 注2)
80年代のようには、日本はゆたかではなくなりました。小泉今日子の語る「少女」には、変わらないリアリティがありますが、「オリーブ少女」の世界は、近年の若者には理解しづらいかもしれません。まして「バブルおねえさん」たちのメンタリティは、謎でしかないと思います。
漫画の登場人物か芸能人しか持てないような、輸入ブランド品や高級外国車がにわかに身近に溢(あふ)れるようになったのが80年代前半でした。唐突にだれもがゆたかになって、まるで夢のなかにいるようでした。そうした記憶をもつ身としては、「オリーブ少女」から「バブルおねえさん」になったひとたちの懲りない「お姫さま願望」も、ちょっぴりわかる気がします。
※助川幸逸郎氏の連載「小泉今日子になる方法」をまとめた『小泉今日子はなぜいつも旬なのか』(朝日新書)が発売されました
(注1) http://www.littlemore.co.jp/tatakauonna/
(注2)小泉今日子『パンダのanan』(マガジンハウス 1997)
助川 幸逸郎(すけがわ・こういちろう)
1967年生まれ。著述家・日本文学研究者。横浜市立大学・東海大学などで非常勤講師。文学、映画、ファッションといった多様なコンテンツを、斬新な切り口で相互に関わらせ、前例のないタイプの著述・講演活動を展開している。主な著書に『文学理論の冒険』(東海大学出版会)、『光源氏になってはいけない』『謎の村上春樹』(以上、プレジデント社)など