日本シリーズ第5戦。8回裏、ソフトバンク・松田に決勝点を許した阪神・メッセンジャー(c)朝日新聞社 @@写禁
日本シリーズ第5戦。8回裏、ソフトバンク・松田に決勝点を許した阪神・メッセンジャー(c)朝日新聞社 @@写禁
この記事の写真をすべて見る

 今年の日本シリーズを象徴していたのは1勝1敗で迎えた第3戦だろう。ソフトバンク・大隣憲司、阪神・藤浪晋太郎の先発で始まったこの試合、勝敗を分けたのは1対0でリードしたソフトバンクの4回裏の攻撃である。

 四球と犠打で吉村裕基が二塁に進み、打席に入るのは9番・細川亨という場面。細川は2-2のボールカウントから外角にショートバウンドする変化球を空振りするが、これを捕手の鶴岡一成が後逸(記録は投手の暴投)、二塁走者の吉村が一気に生還してしまった。

 吉村は足が速い選手ではない。打者走者としての一塁到達タイムはごく平均的な4.5秒程度。しかし、吉村は躊躇なく二塁から三塁を回り、ホームへ生還した。このプレーを見て思い出したのが1987年の日本シリーズ、西武巨人だ。

 西武の3勝2敗で迎えた第6戦、西武は0対0の2回裏に1死二塁のチャンスを迎える。二塁走者はごくごく平均的な脚力の清原和博。この清原がブコビッチのセンターフライでタッチアップし、ホームまで生還してしまうのだ。2対1になった8回裏には一塁に辻発彦を置いて、3番秋山幸二が左中間方向にセンター前ヒットを放つと、二塁を回った辻は三塁手前になってもスピードを緩めず、ホームまで生還してしまう。

 シリーズ前、伊原春樹・三塁ベースコーチ(当時)はスコアラーの集めたデータによって巨人の中堅手・クロマティの捕球してからの送球がゆっくりで、さらに山なりのボールが多いことに注目していた。以前、伊原氏を取材したとき、「ここぞという場面まで取って置いた作戦」と胸を張った。

 話を今シリーズ第3戦に戻すと、鶴岡の後逸したボールを追うときの緩慢な動きがソフトバンクに筒抜けになっていたように思う。27年前、足攻にやられた巨人の監督がソフトバンクの王貞治球団取締役会長、やった西武の3番打者がソフトバンクの秋山幸二監督だけに、余計にそう思う。「短期決戦の日本シリーズは僅少差の接戦になるので勝敗を分けるのは守り」という認識は、シリーズ経験者が多いソフトバンクベンチのほうがより強かったということだろう。

次のページ