現代は、言わずもがなギリシア時代よりもはるかに医学を含む科学技術が進んでいる。しかし、今回のコロナウイルス騒動でもマスクを買い占めて高値で売ったり、医学に関しては全く素人のジャーナリストやブロガーが中国の生物兵器だといった陰謀説(自分でウイルスシークエンスを見ればすぐ嘘とわかることだが)を流したり、中枢神経を冒して突然死する、空気感染するなど怪しげな医学情報の拡散をしている。
マスコミに登場する医師や自称専門家も、比較的良いコントロールをしているわが国の現状をオリンピック目当ての情報隠しだとか国立感染症研究所の陰謀とか、医療資源や検査精度を無視した全例検査を要求するなど、言いたい放題である。つまり、2千年以上前から人間のやることはあまり変わっていない。民主主義国ではいろいろな意見があっても当然だが、こと疾病の予防や制御を政局に使うのは禁じ手だと思う。
■力があることに不安
米建国の父の一人で「コモン・センス」を執筆したトマス・ペイン(1737~1809)は、「合衆国は小さなアテネを拡大したものだ」としている。君主の支配する陸軍国と民主制の海軍国の戦いということで米国では独立戦争前のイギリス、両大戦前のドイツ、あるいは冷戦時の旧ソ連や21世紀の大国化した中華人民共和国と対比して、アテネへの共感が非常に強い。米国人とアテネ人は、どちらも「力があることに不安を抱いており、建前は平和主義だが常に何らかの紛争に首を突っ込み、そのくせ諸外国から尊敬されると同時に好かれたいと思っている」(Victor Davis Hanson)という。
トゥキディデスは、強大なアテネに対し、自分たちがその中に飲み込まれるというスパルタの恐怖が戦争の原因であったとしている。現在では政治のみならず金融・経済や医学生物学を含めた学問の世界でアメリカの一人勝ちに見える。だが、中東や欧州、アジア諸国の不安がスパルタと重なって見えるのは、筆者だけの杞憂ではないかもしれない。
○早川智(はやかわ・さとし)/1958年生まれ。日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授。医師。日本大学医学部卒。87年同大学院医学研究科修了。米City of Hope研究所、国立感染症研究所エイズ研究センター客員研究員などを経て、2007年から現職。著書に『戦国武将を診る』(朝日新聞出版)など
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