『アサヒカメラ』2020年3月号の特集「写真の正義の話をしよう~合成と加工はどこまで許されるのか?」は、写真界でさまざまな議論を巻き起こした。
【写真】「許せない合成写真」を語る織作峰子さんの作品はこちら
その続編として、4月号では「ネイチャー鼎談」として、山岳写真家の菊池哲男さん、動物写真家の前川貴行さん、そして風景写真家の米美知子さんの3人に「自然風景写真における合成と加工」について語ってもらった。
議論は白熱し、なんと7時間にも及んだ。そのごく一部を抜粋して掲載する。
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米美知子:思うんだけど、合成が好きな人って、撮ったときに満足していないんじゃないかな。
前川貴行:満足?
米:「ここにこれがあったらな」「これがなければな」「もっとこうしたい」とか。現場で撮った写真に対して満足感があれば合成をする必要性なんてないと思う。
菊池哲男:ないね。
米:私、撮ったときに十分満足しているもん。「いいのが撮れた!」って。そりゃもう、ウキウキで帰ってくるから。だから、合成どころか、RAW現像もすごく簡単。ほとんど何もしないから。家に帰ってからいろいろやると時間がもったいないし。
前川:要するに写真を撮ったときにエクスタシーを感じていないのよ。おれらはある意味、それを感じないと仕事にならないから。「うわーっ、すっげーのが撮れたあ」って、そこにエクスタシーを感じて、それをエネルギーに生きている。現場で、この瞬間を撮るために、みたいな感じで生きている。
菊池:そのわくわく感、撮れた感って、持続するんだよね。
前川:なんで写真がこんなに面白いのかというと、これ以上のことはないと思うわけ。撮れたときの強烈なインパクト。それがないと写真なんて撮り続けられないと思う。
菊池:それが好きで写真を撮っているんだもんね。
米:要は現場主義で撮るのが楽しい。それがいちばん!
前川:そんなもんですよね、写真って。もう、ぼくらの写真は合成うんぬんじゃないわけ。