しかし、これは全体として悪い文章ではないと思う。彼女が感じたことが、素直にわかりやすく表現されているからだ。
思えば、このときの彼女はまだ高校三年生。3年後に同じ「早大国文科」に入り、在学中に芥川賞を受賞した綿矢りさならいざ知らず、作家然とした文章などいきなり書けるはずがない。むしろ、そこそこ成功した女優にありがちな気取ったエッセイなどより、よっぽど好印象だったりする。
なお、彼女は登場人物のひとりに惹かれるとして、こんなことも書いている。
「私自身、とてもプラス思考なので、潔いのが好きなのです」
実際、彼女はこの迷走期についてもプラスにとらえている。当時は仕事が少なくなればいいのにと感じていたので、むしろよかったというわけだ。その後、彼女はモチベーションを回復し、やりたい仕事を自分のペースでやるというスタンスを獲得していった。
それとは別に、イメージのうえでも、迷走期はけっしてマイナスではなかった。これを機に、爽やかな正統派アイドルから生身の人間くささも漂う女優へと変化できたからだ。その後、二度のできちゃった結婚と一度の離婚、三度の出産を経験。14年に二面性を持つ悪女役で主演したドラマ「聖女」などは、こうした波瀾万丈の実人生なくして不可能だっただろう。
そういう意味で、この迷走期は宮沢りえにおける破局から激痩せという時期にも似ている。両者とも、国民的アイドルから次のステージに進むためには、イメージを上書きしなくてはならなかったのである。
そして、先輩女優との比較でいえば、ワセダに入ったからといって「第2の吉永小百合」になる必要もなかった。広末は彼女ならではのやり方で、大学を自己実現に活用したのだ。
●宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など。