自動車博物館を訪れた1年後、ロス郊外にある、族車愛好家の製作現場を訪ねることができた。
これまでにチームで10台ほどの族車を作ったというジョンさん夫妻。日本車に興味を持つきっかけになったのは、2010年ごろ。「RICERS IN JAPAN」(RICERS=もともとは東洋人に対する差別用語として使われていたが、現在は日本や韓国、東アジアの風変わりな車のことを意味する)という、珍しくて、ださカッコいい車を集めたユーチューブの動画を見たことだったという。
「衝撃を受けました。日本にもこんなレベリアス(反逆的)な車があるのかと。もともと、古い日本車には興味があり、好きなカテゴリーでしたが、そのスタイルにシンパシーを感じたのです。私たちはヒスパニックで、幼いころからレベリアスな環境で育ってきましたから。警察なんてくそくらえ!みたいな(笑)」
その後、ジョンさん夫妻はアメリカ国内で族車を作る業者を探し、彼らに作り方を聞いたが、全く教えてくれなかったという。
「ボディーのデザイン方法も、扱い方も全く知らなかったので、とても苦労しました。頼みの綱はユーチューブの動画と日本の古い自動車雑誌などですね。1990年代の族車が実際に走っている動画を見つけて、再生と一時停止を何千回と繰り返しながら、どんな構造になっているのか? 車高はどのような方法で落としているのか? エアロパーツがどのように接合されているのか? たくさんのことを学びました」
こうしてジョンさんたちが苦労して作り上げた族車に乗ってロス周辺で開催される日本車のイベントに顔を出すようになると、それを見たピーターセン自動車博物館の学芸員から、「日本車に関する企画展をやるから、そこに出展しないか」と誘われたという。
「驚きました。製作期間はわずか5週間程度しかなかったのですが、こんな機会はめったにないから絶対に完璧な族車を作って、博物館に展示してもらおうと頑張りました」
そして完成したのが、筆者が博物館で見た族車だったのである。
単に日本の族車のスタイルをコピーするだけではなく、自分たちのこだわりも加えた作りになっている。
元祖・族車と言えるクルマを数多くデザインしてきた世界的カスタムカーデザイナーの三浦慶氏は、彼らのことをどう思っているのだろうか?
実は、ジョンさん夫妻らチームにとっても三浦氏は憧れの存在。三浦氏デザインのクルマから多くのことを学んできたという。
「今、世界中で70~80年代の車のカスタムがはやっています。その中で日本の暴走族スタイルが好きになった人たちもいます。彼らは日本からレアなアイテムを輸入したり、自分たちで作ったりして楽しんでいます。日本人がイメージする『暴走族』というよりも、旧車ファンに近い感じですね。日本の暴走族スタイルが、アメリカの車文化の一つとして楽しまれているんだなと思います」
日本人からすると不思議な感覚だが、「人と違った車に乗りたい」アメリカ人にとってはウケているのが興味深い。(自動車生活ジャーナリスト・加藤久美子)
※週刊朝日 2020年3月27日号