
NHK大河ドラマ「どうする家康」は右往左往する若き家康が新鮮だ。「どうする?」と人生の決断を迫られるのは、戦国時代も現代も変わらない。ドラマを楽しむポイントを専門家が教えてくれた。
* * *
■ただの公家かぶれじゃない! 「今川ありて徳川あり」
静岡県が誇る偉人といえば、やはり徳川家康か。ソニー生命保険が昨年10月に行った「47都道府県別 生活意識調査」でも「自県を代表すると思う歴史上の人物」で静岡県の1位は徳川家康だった。だが、重要な人物を忘れてはいないだろうか。「どうする家康」では野村萬斎が演じた今川義元である。桶狭間の戦いで2万5千人という大軍を引き連れながら、2、3千人の織田信長軍にあっけなく負けてしまったことで、ふがいない武将として印象づけられているが、近年、義元を再評価する流れができつつある。近著に『徳川家康の決断』(中公新書)がある静岡大学名誉教授の本多隆成さんはこう語る。
「2019年に義元は生誕500年を迎え、その少し前から再評価しようという機運が高まりました。20年にはJR静岡駅にある竹千代像を見守るように義元像が設置されましたし、静岡といえば大御所時代の家康というイメージが強いのですが、義元復権への流れもできつつあります」
室町時代以降、駿河国(静岡)を治めていた今川氏だが、義元の時代に京都から多くの公家を呼び込んだことで貴族文化も栄え、駿河は“東の都”とも呼ばれる最盛期を迎える。今川仮名目録という法令の追加法を制定するなど、義元は内政にも長けていた。家康が幼少期から青年期にかけて、今川氏の人質として駿府(現在の静岡市)にいたのは有名な話だ。
「今川ありて徳川あり」と説くのは静岡大学名誉教授で歴史学者の小和田哲男さん。「どうする家康」の時代考証も務める。
「今川氏の人質だったのは家康が8歳から19歳の間。人質というと監視が厳しいとか自由が利かないといった印象がありますが、家康の場合は待遇がかなり良かった」