面白さと色気を兼ね備えた芸人はそんなにいない。特に今後は出にくくなるだろう。また、彼女は彼が独身のままでも「幸せなんじゃないかな」として、その理由に「とても人を大切にする」「それは絶対変わってないと思う」ということを挙げた。
たしかに、志村さんのまわりには老若男女を問わず、多くの人が集まっていたものだ。訃報が流れた直後「スッキリ」(日本テレビ系)ではハリセンボンの近藤春菜が号泣しながら思い出と感謝を語っていた。そんな人望の厚さが、彼を70歳まで現役のトップ芸人でいさせたともいえる。
それにしても、死には大なり小なり、その人の生き方があらわれるものだ。最近はやめたり控えたりしていたとはいえ、タバコと酒を愛し、夜遊びも楽しんだ。今回の感染経路は不明だが、後輩芸人と飲み歩いたり、ガールズバーに出かけたりというのも、よくなかったのかもしれない。肺をはじめとして、弱った身体状態で、濃厚接触を繰り返せば、リスクは高まるだろう。
個人的には、河田町にあった頃のフジテレビの近くの店で、志村さんが桑野信義らと飲んでいるところも何度か見かけた。和田アキ子が振り返っていたように、静かな酒だった。また「だいじょうぶだぁ」(フジテレビ系)のスタッフを取材した際のことも思い出す。そのスタッフはタバコを吸いながら、胃の不調について話していたが、タバコや酒、夜遊びと切っても切れない環境で、その笑いは作られているということが伝わってきたものだ。当時は90年代で、他の芸人の番組からはそういう雰囲気はうすれつつあっただけに、印象に残っている。
とはいえ、そういう環境でなくてはあの笑いは生まれなかっただろうし、そういう人だったからこそ、ここまで愛されたのである。不世出の芸人という称号がこれほどふさわしい人もいない。
事務所関係者からは「最後まで皆様に笑いを届けるという使命をもって頑張っていたと思います」として「思い出して笑っていただければ」という言葉が聞かれた。こんな時期だからこそ、みんなを笑わせたいと願っていたに違いない志村さん。笑うことが、せめてもの供養になるはずだ。
●宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など