田原:性欲はあっても、社会的にタブー視されていて性を表に出せないんだね。
紗倉:本当は喜美代を思い出したくないはずなのに、思い出さざるを得ない。それが富雄にとっての一番の苦悩だと思うんです。文江と関係することでは心の溝を埋めることができず、次の展開に自分を持っていくことができないという苦しさを描こうとしました。
田原:紗倉さんは、富雄と文江がセックスしたことはよくないと思っているわけ?
紗倉:私はよくないとは思っていないんですけど、書きながら思ったのは、自分が喜美代だったとしたら、ふたたび文江とそういった関係を持つ自分の夫に対して、「なんでよ!」って思うところはあると思います。
田原:怒る?
紗倉:怒るというか、嫉妬してしまうかな。自分がいなくなったら次に進めるんだ、という寂しさを持つかもしれない。でも、今を生きる富雄にとっては、次に進むことが彼の心の延命につながる部分があると思っていて。私は許したいなって。
田原:でも、文江とセックスをした富雄は、たびたび喜美代の記憶に苦しんでいる。そうして苦しめるのは、許せないと思っているからでしょ。
紗倉:うーん、難しい(笑)。結果として、許さざるを得ないんじゃないかなと思うんですけど……。自分がこの世からいなくなった後、自分の愛(いと)しい人がどういう人生を送っても、何もとがめることができないし。ただ、あまり想像はしたくない場面ではあるんですよね。
田原:今、高齢者の性は大問題になっていて、奥さんを亡くした男たちはどうしていいかわからなくなる。以前、先日亡くなった野村克也さんと対談した時、奥さんを亡くして「寂しい、寂しい」って言っていた。前を向けない、と。新しい女性を見つけようと思わないのかと言ったら、冗談じゃないって怒られちゃった。
紗倉:そういった方はすごく多いと思いますし、高齢者の方の寂しさを埋める術は多くないと感じます。田原さんは奥様とお別れされた際、寂しさはどれくらいありましたか。
田原:ものすごくあった。男というのは、だいたいすべて女房任せなんです。僕の場合は、原稿とか講演とか取材対応とか、仕事依頼のイエス・ノーは全部女房が決めていた。月の収入や預金している銀行も知らない。それだけ奥さんの存在というのは、男にとって大きい。