一般には、あまりに時代に先駆けた医師の悲劇として片づけられることが多い。しかし、ゼンメルワイス自身もちゃんとした論文を書かず、センセーショナルな一般書や公開質問状で当時の医学者たちを非難するなど、科学者にあるまじき感情的な行動をとっている。身分制度が厳しいハプスブルク帝国で、属国のハンガリー出身で、加えて親類縁者に医師や大学教授がいるわけでもなく、科学や哲学を冷静に討論する友人にも恵まれなかったのが、彼を不幸にしたのかもしれない。

 20年後には、パスツールやコッホが病原細菌を顕微鏡で観察して培養に成功し、これらの性質を明らかにしたり、治療薬を開発した北里柴三郎や秦佐八郎は異邦人の留学生だったが学会で高い評価を受けたりしている。この違いは、論文を書いたかそうでないかということに尽きる。これこそが、筆者が学生や院生に臨床でも基礎研究でも新しい発見をしたら「論文にせよ」と教える根拠である。

 昨今、あちこちで手洗いを勧めながら、ゼンメルワイスと本を勧めた父の霊よ安かれと思う毎日である。

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