『戦国武将を診る』などの著書をもつ産婦人科医で日本大学医学部病態病理学系微生物学分野教授の早川智医師は、歴史上の偉人たちがどのような病気を抱え、それによってどのように歴史が形づくられたかについて、独自の視点で分析する。今回は産科医であり「手洗いの父」ゼンメルワイスを「診断」する。
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コロナウイルス・パンデミック、特に母子感染がにわかに注目を集めるようになったこの数週間、あちこちから御座敷がかかるようになってきた。産婦人科の世界でメジャーな分野は、がん治療を行う腫瘍(しゅよう)学や周産期医療、そして生殖医療である。しかし、へそ曲がりな筆者が産婦人科の中でもマイナーな母子感染と感染免疫を専攻するようになったきっかけは、半世紀近く前に読んだ一冊の本である。
亡父(もともとは細菌学者で、後に臨床に転じて産婦人科医)が、中学生だった筆者に「これを読んでみたら」と渡してくれたのが『外科の夜明け』(トールワルド著、塩月正雄訳)という文庫本だった。ひと言で言うと「ゼンメルワイス医師が手洗いを広めて産褥熱(さんじょくねつ)が激減した経緯と、なかなか世に認められなかった彼の悲劇」である。
■消毒薬による手洗い
私たちが、安全に苦痛なく手術を受けられるようになって、まだ200年も経っていない。痛みを制御する麻酔と、感染を制御する無菌法はいずれも19世紀半ばの発明である。感染の予防や制御には20世紀の抗生剤の発見や、様々なワクチンの開発がさらに大きくかかわってくる。
18世紀までは、瀉血(しゃけつ)や水銀など怪しげな薬物療法が支配していた西洋医学をして、鍼灸と漢方薬主体の東洋医学(もちろんこれはこれで意味があるが)に対する圧倒的な優位をもたらした立役者が、ハンガリーの産科医イグナーツ・ゼンメルワイスである。
ゼンメルワイスは、オーストリア帝国の属国であったハンガリーの首都ブタペストに1818年生まれた。小売業で成功したドイツ系商人というあまり学問とは縁のない中産階級出身だったが、努力家のゼンメルワイスは、当時帝国の最高学府であったウィーン大学で法学を学び、後に医学部に転じて1844年に博士号を取った。しかし人気のある内科には入れず、当時は助産婦の仕事と思われていた産婦人科を専門とし、2年後にはウィーン総合病院第一産院のヨハン・クライン教授の助手となった。