このところ、4歳の娘と毎日のように学習ドリルをしています。幼児向けなので、迷路や絵さがし、点つなぎといったゲーム感覚の教材なんですが、日本の教材とアメリカのそれを比べて気付いたことがあります。日本の教材は、どんなに簡単な問題にも「答え」が載っているんです。アメリカの教材は、大人ならわかるだろうというレベルの問題には答えが付いていません。
簡単な問題というのは、たとえばこんなものです。
もんだい:〇と△に はいる ひらがなは なんでしょう。
りす → す〇△ → △もめ
こんな幼児向けの問題にも答えを載せなきゃいけないなんて、日本人の学力って低すぎなんじゃない?──という話ではありません。わたしはアメリカに住んで5年目になりますが、市井の人の学力はアメリカよりも日本のほうが高いと感じるくらいです。では、言わなくてもわかるような答えをわざわざ記載しているのはなぜか? その理由は、日本人の“たったひとつの正解”に対するこだわりが強いからじゃないかと思うんです。
こだわりとはつまり、「自分の出した答えは99%当たっていると思うが正解を確認するまでは落ち着かない」という完璧主義。また「あらゆる問いには必ず“たったひとつの正解”がある」と信じて疑わない正解信仰。そして「正解以外の答えは断固認めない」と突っぱねる正解至上主義。最初の完璧主義は保護者(と子ども)の気質で、2番目と3番目はどちらかというと教育者や教育現場の問題です。
わたし自身の話をします。今でも忘れえぬ中学1年生の英語テストで、こんな問題が出ました。
問題:[ ]に入る英単語を答えよ。
I [ ] going swimming.
テスト範囲は現在進行形で、答えが[ am ]であるのは明白でした。しかしビートルズにハマってスラングをかじっていた小生意気なわたしは、回答欄に[ ain’t ]と書いたんです。いや~、ひねくれてますね。自分が教師だったら、こんな生徒イヤだな。でもイヤかどうかは置いておいて、この回答ってOKじゃないですか。I ain’t going swimming、つまり「泳ぎに行かない」。スラングだけど100%通じる文章です。でも、この回答はバツになりました。先生に抗議しても(ますますイヤな生徒だ)、バツは覆されませんでした。先生の中にある“たったひとつの正解”に当てはまらなかったからです。