つまり、現実世界を理解するにはその変化を知ればいいのですが、変化の手がかりに「時間」が使えると便利なのです。これを可能としたのが「時計の発明」です、人類は、精密に同じように変化する機械をたくさんつくることに成功したので、私たちは時間の管理ができるようになりました。「ここで午後3時に待ち合わせしよう」などと、時計にもとづいて約束できるのです。
時計があまりに便利なので、私たちは「時間」が広く一様に存在しているように思っています。つまり、「あなたの1時間」と「私の1時間」が同じであると信じています。ところが、物理学者のアインシュタインが相対性理論で明らかにしたように、物体の速度の違いや重力によって「時間というモノサシ」が少し伸び縮みします。私たちの生活上ではたいした違いになりませんが、地球規模の通信ネットワークを動作させるうえでは、無視できない違いになるのです。
以上の教訓は、「生活上の変化を知るために、便利な『時間』を使ってはいるが、あくまで大事なのは『変化』なので、『時間』にこだわりすぎないほうがよい」です。
さて、「過去や未来の時間」について考えましょう。最初にお話ししたことのおさらいになりますが、私たちは「現実の“物”の世界」の住人で、その世界は常に変化しています。すると、「過去の時間」は「変化する前の世界」であり、「未来の時間」は「変化するであろう先の世界」になります。どちらも、「現実の“物”の世界」としては存在していません。
すなわち、私たちが想像するタイムマシンが、物の世界の法則に従う機械である以上、存在していない物の世界を行ったり来たりできないのです。SF作家は、「世界」が存在し「時間」もあるらしい、ならば、「過去や未来の世界」も存在するはずだ、と誤解したのでしょう。
ゆえに「タイムマシンは、未来のどんな技術をもってしても製作できない」、これが結論となります。
しかし、話はもう少し複雑です。「“物”の世界」でなく「“心”の世界」ならば、時間の行き来が可能です。私たちはよく「過去の世界」や「未来の世界」を想像します。心の中の時間旅行(タイムトラベル)ならば、容易にできるのです。