林:私たち作家が歴史小説を書くとき、年代とか日にちは正確に書かなきゃいけないけど、密室での話は好き放題書いていいと思ってます。

伯山:「赤穂義士伝」に「赤垣源蔵徳利の別れ」という有名な場面がありますよね。討ち入りの前日、兄貴のところを訪ねたら留守で、羽織に向かって別れの杯を交わすという。あれも、まず、源蔵には兄貴がいなかった。

林:えっ、ほんとですか。

伯山:さらに源蔵は下戸だった。

林:あらら。

伯山:しかも「赤埴源蔵」というのが本当で、「赤垣源蔵」ですらない。まったくのウソ。でも、そこに見事に兄弟の情愛が描けてるから後世に残っている。講談というのはここまで自由なんだと思って、僕、すごく勇気づけられました。

林:でも、たとえば武家の人の衣装を描写するときに、「なんとかの直垂に」とか言うじゃないですか。それ、若い人はまったくイメージできないですよね。

伯山:今、「水戸黄門」もなくなっちゃいましたからね。ご老公といえば東野英治郎さんという、元のイメージがなくなっちゃってる。「大岡越前」でも、林さんの年代とか、ギリ僕の年齢だと、加藤剛さんがお小姓連れて出てきて、お白洲があって……という絵が浮かびますよね。あれが浮かばないというのは厳しいですよね。

林:そうですよね。

伯山:そこと闘っていかなきゃいけないんで、講談って大変だなとつくづく思います。「赤穂義士伝」に関して言うと、神田愛山という先生は、「『義士伝』にはテーマがある。忠君愛国じゃないぞ。テーマは“別れ”だ」と言うんです。「赤穂義士伝」って300ぐらい講釈があるんですけど、確かに堀部安兵衛の高田馬場の決闘は叔父さんとの別れだし、徳利の別れとか、南部坂雪の別れとか、ありとあらゆる別れのパターンが詰まっている。そういうアプローチで入っていくと、お客さんは比較的聴いてくれますね。

林:ほぉ~、そうなんですか。

伯山:「義士」を知らない子がいて、「テロリストじゃないの?」と言ったりするので、なぜこれが名作として知られているのかという講義も兼ねて、まさに講釈ですね。でも、若い世代はすごく純粋に聴きます。

林:素晴らしいです。いつもデジタルの音楽を聴いてる子が、肉声の魅力にとりつかれてるというのは、ほんとにおもしろいなと思いますね。

伯山:柔軟ですよね。なんでかわからないですけど、講談はこれから発展するなという感じを受けますね。

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