平井伯昌(ひらい・のりまさ)/競泳日本代表ヘッドコーチ、日本水泳連盟競泳委員長。1963年生まれ、東京都出身。早稲田大学社会科学部卒。86年に東京スイミングセンター入社。2013年から東洋大学水泳部監督。同大学法学部教授。『バケる人に育てる──勝負できる人材をつくる50の法則』(朝日新聞出版)など著書多数平井伯昌(ひらい・のりまさ)/競泳日本代表ヘッドコーチ、日本水泳連盟競泳委員長。1963年生まれ、東京都出身。早稲田大学社会科学部卒。86年に東京スイミングセンター入社。2013年から東洋大学水泳部監督。同大学法学部教授。『バケる人に育てる──勝負できる人材をつくる50の法則』(朝日新聞出版)など著書多数
福岡世界選手権200メートル平泳ぎで3位に入った北島康介=2001年7月 (c)朝日新聞社福岡世界選手権200メートル平泳ぎで3位に入った北島康介=2001年7月 (c)朝日新聞社
 指導した北島康介選手、萩野公介選手が、計五つの五輪金メダルを獲得している平井伯昌・競泳日本代表ヘッドコーチ。連載「金メダルへのコーチング」で選手を好成績へ導く、練習の裏側を明かす。第17回は「北島康介とウェートトレーニング」について。

【写真】福岡世界選手権平泳ぎで3位に入った北島康介

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 ちょうど20年前の2000年4月、当時高校3年の北島康介が五輪代表選考会を兼ねた日本選手権の男子100メートル平泳ぎで日本新を出して初優勝、シドニー五輪出場を決めました。

 01年福岡世界選手権では200メートル平泳ぎで3位に入り、世界大会で初めて表彰台に上がります。世界の頂点が視野に入ってきましたが、「結果を出しても守りに入るな」と自分に言い聞かせていました。五輪金メダルを取るためには、だれもやったことのないような練習が必要だからです。

 福岡世界選手権が終わった秋からは本格的なウェートトレーニングを始めました。それまで抑制的にやっていましたが、このときは「肉体改造」を目指して開所したばかりの国立スポーツ科学センター(JISS)の専門家の指導を受けて徹底的に行いました。

 トップ選手の平泳ぎはデリケートな種目です。腕のかきとキックのタイミングが少しずれただけでも、泳ぎが崩れてしまいます。当時の北島は世界の強豪に比べると細身で、水の抵抗を減らす泳ぎの技術を磨いて記録を伸ばしてきたので、ウェートトレーニングで筋肉を大きくすることに否定的な意見もありました。

 しかし、いくら水の抵抗を減らしても、エンジンが小さいままでは、いずれ頭打ちになります。100メートルと200メートルの2種目で五輪金メダルを狙っていたので、スピードを上げることは絶対に必要でした。筋力がついたら、そのパワーに応じて泳ぎ方を変えればいい、と考えていました。

 本格的なウェートトレーニングを始めて数カ月は、水中練習のパフォーマンス低下には目をつぶりました。めったなことで弱音を吐かない北島も筋肉痛で思うように泳げないときは、「先生、きついです」と言うこともありました。

 
 私は、筋力アップのためにいったんプールから離れてもいい、と腹をくくっていました。故・山中毅さんら早大水泳部の先輩は「冬はプールの氷を割って泳いだ」という話が語り継がれていましたが、温水プールが普及するまでオフシーズンの競泳選手は陸上トレーニングで体力アップを図っていたのです。東京スイミングセンターで5歳から泳ぎ始めた北島は、骨折したときなどを除いて、ずっと泳ぎ続けていました。ウェートトレーニングで体に新たな刺激を与えているので、プールで泳げない時期があってもかまわない、という思いがありました。

 北島は練習で限界ぎりぎりまで自分を追い込むことができます。厳しいウェートトレーニングでひじを痛め、02年8月のパンパシフィック選手権を途中棄権する反動も出ましたが、10月、釜山アジア大会では200メートル平泳ぎで初めて世界新をマークして、後の五輪2種目2連覇につながる大きな自信をつかみました。

 新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため7都府県に出ていた政府の緊急事態宣言の対象地域が4月16日、全国に拡大されました。東京都などで休業要請対象にスポーツクラブが入るなど、練習が制限される状況が続いていきます。

 自由にプールが使える日常が戻るまで、どうやって選手の体力を維持、向上させていくか。世界新に挑むような難しい課題ですが、柔軟な発想で答えを探していきたいと思います。

(構成/本誌・堀井正明)

週刊朝日  2020年5月1日号