ではなぜ、岡村は芸人としてこういう歩みをしてきたのか。そこにはおそらく、下積み時代の違いが関係している。志村はドリフターズの付き人だった頃、メンバーの食べ残したラーメンをかき集めて自分の食事にするなどの辛酸をなめた。たけしも最初の相方が実力差から心の病になり、自責の念にかられるなどの悲惨な経験をしている。それがバカをやり続ける執念にも、メンタルの打たれ強さにもつながったのだろう。

 一方、岡村は吉本の養成所を出て矢部浩之とコンビを結成した翌年には「吉本印天然素材」の一員としてブレークを果たした。そこで得たアイドル的人気を保ちながら、ポストダウンタウンとしての実力も認めさせ、トップクラスへと登り詰める。39歳のときに精神的な不調をきたし、数カ月間の活動休止をするまでは順風満帆でやってきた。

 ただ、初めての挫折がこの活動休止だったのは象徴的だ。志村やたけしの場合、30代での挫折はノミ行為での書類送検やフライデー襲撃による逮捕だった。その点、岡村にはストレスを抱え込んでしまいがちな生真面目さが感じられ、また、すぐに売れた分、仕事を失うことへの不安も強いようだ。志村やたけしのように、大物芸人には大胆さと繊細さを併せ持つ人が多いが、岡村の場合は大胆さはあまり目立たず、そこが押しの弱い系のいい人っぽさにもつながってきた。

 今回の発言にしても、風俗好きなどの一面をふだんから世間にもっと見せてトークをこなしていれば、炎上の基準なども学習でき、こういう発言にはならなかったかもしれない。とはいえ、性格的にもイメージ的にもそういう一面は見せにくかったと考えられる。いっそ、これを機に、開き直ってもいいと思うが、もうすぐ50歳になる人間がそうそう変われるものでもない。

 だとしたら、せめて、コントなどの活動を増やす手もある。好きなお笑いに没頭するには、今回の騒動はむしろ、好機なのではないか。

 本来、志村ロスを埋める有力候補であるはずの岡村。謝罪よりも、コントをしているところを見たい。

宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など

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