哲学者の内田樹さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、倫理的視点からアプローチします。
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県の緊急事態宣言を承けて道場をお休みにしてから、ひと月が経った。休みはまだしばらく続きそうである。
合気道の稽古では、多い時は70畳の道場に40人くらいがひしめくので、いくら手指消毒し、換気を心がけても「密集・密着」は避けがたい。道場を休みにしたので、とりあえず畳替えをしてみた。青々とした新しい畳表の香りが道場を満たしたけれども、それをともに言祝(ことほ)ぐ相手がいない。しかたなく毎朝一人で神棚に向かってお勤めをして、気が向くと謡(うたい)と仕舞の稽古をし、居合を抜いたりしている。
Zoomというものの使い方を教わったので、それで寺子屋ゼミは予定通り開講した。ゼミなら、リモートでも対面でも、それほど手応えは変わらない。神戸まで来られない遠隔地や海外からの受講生も参加できるようになったので、宣言解除後も希望者はそのままオンラインで受講してもらうことにした。
インタビューや対談・鼎談もこのところすべてオンラインである。家から出ないので、原稿書き仕事は捗(はかど)り、「文債」だけはだいぶ片付いた。
仕事用に東京に部屋を借りていたのだが、もう2カ月行っていない。もともと「東京五輪で、東京のホテルが予約しにくくなる」と聞いて、東京に出張する門人たちと共同利用するつもりで借りたのだが、まさかこんなことになるとは思わなかった。使わない部屋の家賃を毎月払っていると、休業中もテナント料だけは払い続けている人たちの気持ちが少しわかる。
稽古がなくなっても、私には物書き仕事があるが、妻は能楽師なので、もう三月ほど仕事がない。秋までの公演もほとんどキャンセルになった。「遊行の芸人」が家で足止めを食らっている。陸に上がった河童(かっぱ)のようで、見ていて気の毒であるが、どうしようもない。
『三国志』に「髀肉之嘆(ひにくのたん)」という言葉がある。戦乱が収まって平穏な日々が続いて、馬に乗って戦場を疾駆する機会がなくなり、内腿の筋肉が落ちたことを劉備が嘆いた故事による。私の場合は稽古が減ったせいで、足が細くなってしまった。
こんな生活がいつまで続くのだろう。
※AERA 2020年5月18日号