今日まで残されている衣装の多くは、戦国時代に勝ち組だった家のものだという現実がある。家康の胴服に由緒書が残っているのも、彼が天下人となったことと無縁ではないだろう。

「胴服とは、武士が日常着として小袖の上に羽織った、丈の短い上着です。日常着であることから、格式張らない絞り染めで、模様を染めることも多いのですが、家康の胴服は大胆な斜めの縞(しま)を浅葱(あさぎ)、白、紫の3色に、銀杏と雪輪とともに『縫い締め絞り』で染めています」

 右上から左下へと流れる大胆な縞は「右巻」と呼ばれる模様。遠目にも目立つ「かぶいた」意匠だ。

「裏地には真っ赤に染めた平絹の『紅絹(もみ)』を用いているので、外折(そとおり)にした襟が赤く映えています。『かぶき者然り』といった衣装を着ていた家康は、相当な洒落者だと思います」

 もちろん、「きもの展」で見られるのは戦国武将の着物ばかりではない。第13代将軍徳川家定の御台所(みだいどころ)、篤姫の小袖、江戸時代中期を代表する画家の尾形光琳直筆の小袖などが並ぶほか、「観楓(かんぷう)図屏風」や「婦女遊楽図屏風(松浦屏風)」など、着物が描かれた国宝の絵画作品も展示される。

「振袖 白縮緬地衝立梅樹鷹模様(しろちりめんじついたてばいじゅたかもよう)」(重要文化財)は、ついたてに留まる鷹の姿を絵画のように繊細かつ華やかに染めた、開放的なデザインの振り袖。江戸時代、若衆と呼ばれる男性が着ていた着物だ。

「若衆」は元服前の前髪のある少年のことだが、男色を売る男性もこう呼んだという。小山さんは続ける。

「江戸時代中期、友禅染の技術がもっとも高い水準にあった頃のものです。若衆たちは着飾っていたので、こうした振り袖を求めたのでしょう。意匠の特徴としては年中行事や端午の節句など、少年向けで色も鮮やかなものが多いですね」

「これが裏地?」と驚くのが、江戸の町で火消しの役割も担った鳶職などの火消し半纏だ。火消半纏 紺木綿地人物模様(ひけしばんてん こんもめんじじんぶつもよう)のように、刺し子を施した火消し半纏の裏側に、勇壮な武者絵を描き、無事に火を消した帰り道に、裏返して市中を歩いた。火消しの意地、美学が見てとれる。

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