1988年に撮影された、開設100年を迎えた宇高連絡船(C)朝日新聞社
1988年に撮影された、開設100年を迎えた宇高連絡船(C)朝日新聞社
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2019年12月、多くの人に見送られ高松港を出る最終のフェリー(C)朝日新聞社
2019年12月、多くの人に見送られ高松港を出る最終のフェリー(C)朝日新聞社
備後落合駅に最終列車が到着し車両の電気が消された(C)朝日新聞社
備後落合駅に最終列車が到着し車両の電気が消された(C)朝日新聞社
(表1)
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 さる4月17日、北海道で16駅がその役割を終えた。JR北海道札沼線の廃止と運命をともにしたのである。こうして路線とともに生涯を終える駅もあれば、ひっそりと姿を消す駅もある。また、時代とともに大きく変貌を遂げ、昔を懐かしむこともあるかもしれない。そこで、個人的に思い入れのあるそんな駅をいくつか拾い上げてみたい。北海道と東日本編に続き西日本編として思いを綴ってみた。

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■本州~四国間の接続点として賑わった──宇野線・宇野駅

 2019年12月15日、宇野港(岡山県玉野市)と高松港(香川県高松市)とを結ぶ「宇高航路」が最後の運航を終えた。1910年に開設された長い歴史を持つ航路の終焉であった。

「宇高航路」は1949年6月に国鉄の一員となり、「青函航路」(青森~函館間)などと並ぶ国鉄連絡船として旅客や貨物の運搬にあたってきた。国鉄分割民営化後はJR四国が受け継いだが、1988年4月の瀬戸大橋開通に伴い連絡船としての歴史を閉じている。

 連絡船現役当時、宇野と高松の両駅で列車と接続するダイヤが組まれ、航路と駅は本州~四国間の旅にあって重要な役割を担っていた。1972年には高速艇「ホバークラフト」が導入され、一般の貨客船が片道1時間を要したのに対し半分以下の25分で宇野と高松とを結んでいたのである。

 宇野線と宇野駅はその本州側の要として活躍してきた。宇野線は岡山と宇野とを結ぶ32.9キロメートル(現在は32.8キロ)の電化路線で、連絡船現役当時の「時刻表」(1972年3月)を見ると、四国連絡に重きが置かれていたことをうかがわせる。優等列車こそ東京発着の寝台特急「瀬戸」と新大阪発着の急行「鷲羽」が設定されている程度だが、ほぼ1時間間隔で運行されている岡山発着の快速には指定席グリーン車を連結。途中駅無停車も複数設定されていた。

 そういう路線の終着駅である。往時の宇野駅は2面3線の旅客ホームのほか貨物用ホームに加え、側線や引込線などが広範囲にわたって錯綜する巨大な駅であった。当時の連絡船は通学の足としても利用されていたというが、彼らの目にこの広大な駅はどのように映っていたのだろうかとも思う。

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最後まで運航を続けていたのが四国フェリー